コラム

わさび田の清水を求めて 「日常の観察者」として今日も歩く

2020年11月12日(木)14時45分

◆「右横書き」の謎

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奈良井川にかかる橋ですれ違った「輸運潟新」のトラック

奈良井川にかかる橋で、「るすけ届おをろこごま 輸運潟新」と荷台に書かれたトラックとすれ違った。大糸線に続いてゴールの新潟を感じた瞬間ではあったのだが、それにしてもなぜ、車に書かれた文字は現代の日本語の決まりと逆なのか。最近はこの"逆文字"が減ってきたので若い人はピンとこないかもしれないが、昭和の時代は、商用車の社名・店名などの文字は「右から左」が多かった。

この「るすけ届おをろこごま 輸運潟新」みたいな書き方は、「右横書き」と言う。もともと縦書きだけだった日本語に横書きが登場したのは明治時代になってからだが、当初は、横書きの方向は統一されていなかった。それが昭和初期に「右横書き」に統一され、今の「左横書き」になったのは戦後だ。「右横書き」への統一は軍部主導で行われたというから、軍事色の払拭・戦後民主主義の象徴の一つとして、新聞・雑誌などの民間の影響力で「左横書き」が広まったのかもしれない。

では、今も商用車に残る「右横書き」は、軍国主義の名残りなのだろうか。右から書く理由としてよく挙げられるのは、そうした「政治の日常風景への介入」というよりも「進行方向から書いてある方が読みやすいから」というものだ。これに従えば、車体の右側面は「右横書き」、左側面は「左横書き」にすることになる。でもやっぱり、車体の右側の文字も、普通に左から右へ書いてあった方が絶対に読みやすい。「社名を進行方向に向かって先頭に向けないと縁起が悪いから」、なんて説もあるようだが、僕などは"逆文字"の方が縁起が悪く感じる。社会の上に立つ為政者や大企業の常識と市民感覚のズレがよく問題視されるが、「右横書き」も、一般層には大きな違和感ばかりが残る不思議な慣習の一つである。

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町角の一句。「右横書き」も敗戦を契機に姿を消したというが・・・

◆視覚的感性を記録し続ける旅のスタイル

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青・黄・緑。信州の旅の色

奈良井川を渡るとすっかり農村地帯である。空はどこまでも青く、夏を惜しむヒマワリが秋へと急ぐ稲穂の黄色と重なる。目指すわさび田の湧水地帯とつながる水路の水面は、透けて見える水草の緑に染まっていた。

旅人は、大きく分けて視覚・嗅覚・想像力で旅の風情を感じる。人によっては、聴覚や触覚が強い人もいるだろうが、僕の場合は、順にこの3つが強い。視覚の風情は、「きれいな山」「古い建物」といった文字にしやすい情報に寄ったビジュアルよりも、僕の場合は視覚的な「色」、抽象的な「形」、細部の「質感」といったものから風情を感じる。そして、「風情」とは、風景の「情」である。情は言葉や理屈では表し難い感覚である。僕は、それを視覚的な映像で表現するのが写真だと思っている。説明的な記念写真や記録写真も写真のいち側面ではあるが、写真の本質は視覚的な風情の表現だと信じている。

この旅でも、この連載記事に掲載する写真はどちらかというと説明的なものが多いのだが、道中ずっと、五感で感じた風情をカメラのファインダーで捉え、メモリーカードに焼き付けている。とにかく「息をするように写真を撮る」のが僕の旅のスタイルで、それは社会性やメッセージ性を帯びた記録というより、生きていることを実感するための本能的行為である。

◆日常から非日常を望む「西ベルリン行きのアウトバーン」

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安曇野へ向かう雑草生い茂る「道」

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日本の日常風景。水田と鉄塔の「道」

旅とは、日常の呪縛から離れる自由の希求である。日常を求めて歩き旅をしている、とここまでさんざん書いてきて矛盾しているようだが、旅人の目の前に広がる日常は、旅をしている「私」の日常ではなく、そこで暮らす人々の日常である。よそから来た僕にとっては、それは非日常であり、しかし、そこにいる自分も含めた第三者的な俯瞰の視点では、やはりそこに広がるのは現代社会の日常の断片である。こんな哲学的なことも、旅人は考えながら歩かねばならない。

中学生の頃、当時住んでいたロンドンから、ドイツを経て東欧へ家族旅行に行った。まだベルリンの壁があった時代で、西ドイツ側からベルリンに入った。当時の西ベルリンは、東ドイツの中に離れ小島のように隔離されている街で、西ドイツの"本土"から一本のアウトバーン(高速道路)でつながっていた。東ドイツ領内を突っ切る西ベルリン行きのそのアウトバーンは、その道路上だけが西ドイツで、両側に広がる風景は東ドイツだった。子供だったので細かい状況までは覚えていないが、無駄に大規模な高層アパート群が荒野の中に不自然に現れては消えていったのを鮮明に覚えている。「東は進んでいるぞ」と、西ドイツ市民に誇示していたのだろう。見えるところだけのハリボテの共産主義文明だったにしろ、西側の住民だった僕にとっては、それはまさに「日常」から見えた「非日常」だった。

大人になった今も、僕は西ベルリン行きのアウトバーンを歩き続けているのかもしれない。一歩進むごとに切り開かれていく日本海へと続く「道」は、そこだけが自分の聖域で、周囲には、土地の人たちの自分とは異なる日常が広がる。東西分断の最前線だったアウトバーンと違って、令和の日本の道では、土地土地の日常が入り込んだり、人々と会話を交わすことができる。それでもやっぱり、旅人が歩く道は、いつでもどこでも「西ベルリン行きのアウトバーン」なのだ。

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旅とは、日常の呪縛から雲のように自由になることだ

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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