コラム

楽都・松本 音楽情操教育「スズキ・メソード」はここから世界に広まった

2020年09月15日(火)16時00分

◆「学都」に並ぶ新旧の学び舎

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手前が現役の開智小学校、奥が日本初の小学校・旧開智学校

松本城の北には、「学都」を象徴する「旧開智学校」がある。長野県は、昭和の時代には「敎育県」と言われたが、日本初の小学校の一つである開智学校は、その象徴である。明治維新後間もなく建てられた文明開化の息吹を感じさせる洋風建築で、やはり国宝に指定されている。松本城の天守閣からもよく見えるので、「国宝から国宝を見る」というマニアックな味わい方もできる。

いかにも「学都」らしいと思ったのは、開智学校が明治時代の遺産にとどまっていないことだ。旧開智学校の校舎は、昭和39年に中心市街地からこの地に移築されたのだが、そのすぐ目の前に現役の松本市立開智小学校があるのだ。旧制の開智学校とは直接の関わりはないかもしれないが、近代敎育のルーツを大切にしている証として、新制の開智小学校の校舎も、旧開智学校の特徴的な八角塔をモチーフにしている。

長野県が「教育県」と言われる理由には、開智学校の存在に代表される敎育の歴史の深さが挙げられる。江戸時代には識字率が飛び抜けて高かったといい、昭和50年代までは東大合格者数が全国トップクラスだった。僕個人は、信州人の教育熱心さは、この連載で何度も触れた非常に真面目で誠実な県民性につながっていると思う。以前、帰国子女向けの敎育雑誌のために県立の進学校を取材した際には、高い教養に裏打ちされた生徒たちの「理屈っぽさ」に非常に驚いたものだ。生徒だけでなく、先生たちも同じだったし、長野県に暮らしていると、日常で接する地域の人たちにも、やはり理屈っぽさを感じる。まあ、ざっくり乱暴に言えば「話が長い」のだ。僕も取材した県立進学校と似たような校風の都立高校出身で、同級生たちを含めて我ながら相当に理屈っぽいと自覚しているのだが、その僕の感想なのだから、決して一方的な思い込みではないと思う。

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国宝として保存されている旧開智学校校舎

◆「音楽によって心を豊かにし、自信をつける」

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鈴木鎮一記念館。鎮一の自宅をそのまま公開している

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記念館に展示されている鎮一の写真。中央上の写真の左の女性はワルトラウト夫人。二人はベルリンで知り合い、松本のこの家で生涯を共にした

「楽都」の象徴である鈴木鎮一記念館は、もう一つの「学都」の象徴、信州大学松本キャンパスの近くにあった。鎮一の居宅が、1998年に没後、市に寄贈されて資料館になっている。鎮一は、冒頭で書いたように、「スズキ・メソード」の創始者である。今は日本よりも欧米での知名度が高いという。というのも、「スズキ・メソード」は、日本よりも欧米、とりわけアメリカで、近年はオーストラリアなどでも評価が高く、子供向けの音楽情操教育として普及しているからだ。

鎮一の父は、名古屋で日本初のバイオリン製造会社「鈴木バイオリン製造」を設立した鈴木政吉である。鎮一は、日常にバイオリンがある少年時代を送り、青年期にベルリンに留学してバイオリニストとなり、帰国後、帝国音楽学校の教授として音楽を教える立場になった。ベルリン時代にはバイオリン奏者としても一流だったアルベルト・アインシュタインが後見人を引き受け、親交が厚い。日本人が世界で堂々と実力を発揮した、戦前を知る偉人である。

鎮一が松本に拠点を移したのは、終戦翌年の1946年。戦時中、水上飛行機工場に転換させられた鈴木バイオリン製造木曽福島工場の工場長になり、長野県と縁ができていたところに、松本の文化人らが当地に音楽学校を設立するため、鎮一を招聘した。そして、戦後復興を担う子供たちに音楽を授けたいという鎮一の願いに沿って「松本音楽院」が設立された。それが「楽都」の始まりである。現在は、それがスズキ・メソードによる音楽教育を行う「才能教育研究会」へと発展し、鎮一が没後の今も本部は松本にある。生徒たちが毎年行う大合奏(1955年の第1回は実に1200名!)は、世界の音楽家たちに感動と衝撃を与え、海外での評価を高めるに至り、今は世界中にスズキ・メソードを学ぶ子どもたちがいる。

「どの子も育つ」が鎮一の口癖で、スズキ・メソードは、音楽の英才教育というよりも音楽を通じた情操敎育であった。僕自身は、スズキ・メソードを学んでいた子供の頃は、それに気づかなかった。厳しいレッスンだと感じ、泣きながらバイオリンを弾いた記憶もある。正直なところ、カナダに行ってスズキ・メソードを離れてからバイオリンが楽しくなったくらいだった。

しかし、スズキ・メソードの根底には、鎮一の「音楽によって心を豊かにし、自信をつける」という敎育理念があったと、今回の取材で初めて知った。それは、僕にとってはある種の救いだ。今にして思えば、冒頭で書いた僕のバイオリンに託した夢の挫折は、決して人生の挫折ではなかった。むしろ、写真家の道を歩む今の自分の礎になったのだと思えるようになった。今回の松本の旅によって、僕の音楽に対する長年のコンプレックスは、自信に変わったような気がする。

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鎮一が全国から相談に来る親子らを迎えた応接間=鈴木鎮一記念館

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今回歩いたコース:YAMAP活動日記

今回の行程:平田駅 → 北松本駅(https://yamap.com/activities/6953948)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=13.8km
・歩行時間=7時間42分
・上り/下り=56mm

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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