コラム

ロシアでサイバーセキュリティが議論されない理由

2017年12月25日(月)13時20分

カスペルスキー問題

米露のサイバーセキュリティについては、もう一つ問題になっているのが、カスペルスキー・ラボをめぐる問題である。創設者のユージン・カスペルスキーは業界の有名人であり、同社が提供するセキュリティ・ソフトウェアは世界中で使われている。ところが、米国政府は、カスペルスキーがかつてソ連時代の国家保安委員会(KGB)と関係があったことを問題視し、米国政府のシステムから排除することを決めた。

この問題については、中国の端末メーカーである華為技術(ファーウェイ)やZTEが米国市場から追い出されたのと同じで、安全保障の名を借りた米国企業による嫌がらせという見方も根強い。ロシアの研究者たちは、真っ黒だと分かる証拠を見せて欲しいという。

ある研究者は、イクエージョン・グループの存在をカスペルスキー・ラボが暴露したことが関係しているのではないかと疑っている。カスペルスキー・ラボによれば、イクエージョン・グループはゼロデイを駆使したきわめて高度なサイバー作戦を行うグループとされ、米国の国家安全保障局(NSA)との関係が取りざたされている。

しかし、この問題もまた、ロシア人たちを熱くさせるような議論にはなっていない。無論、純粋なビジネスではなく、政治的な圧力がかかっていることにロシアの業界人はいらだっているが、政府とサイバーセキュリティ業界がつるんでいるのは米国もロシアも同じだという冷めた意見もある。

かつてこのコラムでも取り上げたように、国連ではサイバーセキュリティを論じるために、政府専門家会合(GGE)が開かれてきた。その5回目の会合が2016年と2017年に開かれたが、2017年夏にGGEは合意をまとめることができず、9月の国連総会に報告書を提出できなかった。このサイバーGGEをずっと牽引してきたのはロシア政府であり、5回目のGGE開催もロシア政府が呼びかけた。それにもかかわらず、ロシア国内でサイバーセキュリティに関する議論が盛り上がっていないことは意外だった。

議論が低調な理由

ロシアには、技術的な側面からサイバーセキュリティを研究する研究者はそれなりにいるそうだ。特に暗号に関する研究は盛んらしい。しかし、私のように政策的な視点からサイバーセキュリティを見ている研究者はほんの一握りしかいないという。そのうち最も名前が挙がる人はまだ30代で、博士論文を書いている最中だという。彼とは2年前に米国のワシントンDCで開かれたワークショップで同席したことがあった。

彼や他の人たちの話を総合すると、ロシアでは、インターネット関係者はロシア政府のセキュリティ・サービス(治安当局)と歴史的に関係が深いため、サイバーセキュリティを論じれば、必然的にロシア政府の連邦保安庁(FSB:かつてのKGB)やロシア軍の参謀本部情報部(GRU)の話をしなくてはならなくなる。タブーとは言えないまでも、気安く触れられる話題ではない。仮に何か政策について議論した後に、それが政府の方針と違うことが分かってしまうと、「なぜあんなことを言ったのか」と仲間の研究者たちに聞かれることになるという。

セキュリティ問題を専門としている新聞記者も、話してみると実はサイバーセキュリティの問題についてかなり詳しいのだが、サイバーセキュリティは記事にしにくいと認めた。

別の研究者は、「研究とはビジネスであり、単にサイバーセキュリティには金が付かないからだ」とも指摘した。ロシアの研究は、自然科学でも社会科学でも政府の資金から独立して行うことはまだ難しいらしい。純粋に民間の資金で運営しているシンクタンクはほとんどなく、大学も政府の資金に依存している。外国の政府や民間からの資金も不可能ではないが、おおっぴらに多額の資金を受け入れるのははばかられるようだ。

プロフィール

土屋大洋

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。国際大学グローバル・コミュニティセンター主任研究員などを経て2011年より現職。主な著書に『サイバーテロ 日米vs.中国』(文春新書、2012年)、『サイバーセキュリティと国際政治』(千倉書房、2015年)、『暴露の世紀 国家を揺るがすサイバーテロリズム』(角川新書、2016年)などがある。

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