15分で我慢の限界に...じっと座るのが苦手な外国人の「座禅」体験
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<座禅体験を取材したアメリカ人の筆者が感じた座禅の難しさ。日本の高齢者を含め、座禅が苦手な人の姿勢をお釈迦様はどう考えていた?>
ある店の「心まで自粛するな」という看板が目に入った。心の自粛か......。パンデミックが続くなか、自分の心の健康はどうなっているだろう。
お釈迦様が悟りを開いた12月8日は「成道会(じょうどうえ)」と呼ばれる。その日が近づいていることを意識していたためか、「心の健康」という言葉が頭の中でしばらく響いた。2600年前にインドで起きた出来事と僕にどんな縁がある? まあ、少しくらいスピリチュアルな一面があってもいいよね。「郷に入っては郷に従え」を重んじる人は、住んでいる土地の精神論や宗教を気に掛けたくなる。
気に掛けては、たまに修行らしいことをしたい。昨年夏に座禅体験を取材する機会に恵まれた。場所は座禅会を定期的に行っている東京のある禅寺。かなりの人数が集まっていた。
わずか15分で我慢の限界が
本堂は広く、窓が開けてあったけれど、指導する住職をはじめ、マスクをしていない人が1割くらい。「密です!」という都知事の熱心な勧告がまだ記憶に新しい時期だったのに。頭を空っぽにしなくてはならないが、困ったことに「ここ、クラスターになり得るのでは?」という心配がどうしても湧いてくる。でも、これも一つの煩悩かと思って精神統一をし始めた。
ただ、精神統一と言ってもお寺からはそれほど説明があったわけではない。方法は自己流だ。住職が指し示したとおりに、目を半開きにして、あぐらのような体勢を取り、できるだけ動かないようにした。あまり何も考えないように、という指示もあった。
これをこなすのは難しくて(ごめん!)、代わりに日本に来る前から知っていた公案(禅の問答)について考えた。江戸時代の禅僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)が提言した「隻手(せきしゅ)の声」だ。「片手で鳴らす拍手の音に耳を澄ませよ」を意味し、絶対的な境地を説くこの教えは、少なくとも半世紀前から西洋ではだいぶ注目されている。片手で鳴らす音とは......?
また、仕方のないことだが、禅寺が指示する座り方は体の硬い自分にとって苦痛そのもの。足の組み直しをあまりせずに1時間くらい座禅を続けるという話だったが、わずか15分で我慢の限界が来た。周りの人に悪いなと思いつつ、どうしても姿勢を変えなくてはならなかった(再び、ごめん!)。