「政治的暴力はアメリカの日常だ」在任中に暗殺された大統領は4人、議員や候補者も標的に...
THIS IS AMERICA, TOO
観劇中だったリンカーン大統領暗殺の瞬間を描いた絵画 THE LIBRARY OF CONGRESS
<アメリカの歴史を振り返れば、意見の相違を銃弾で解決したがる者たちの姿がある。実にアメリカ的で、あまりに不幸なその伝統を克服できるのか>
ドナルド・トランプ前大統領の暗殺未遂事件は全米に衝撃を与えたが、今回のような事件が起きたのはもちろん初めてではない。アメリカには、政治的な意見の相違を投票ではなく銃弾で解決しようとする者たちの長い歴史がある。
暴力はアメリカの選挙制度を常にむしばんできた。建国の父ベンジャミン・フランクリンが警告したように、アメリカの共和制の維持と保護には、英雄的といえるほどの努力を必要とする。
暴力は非アメリカ的な行為と思われがちだが、それは正しくない。政治の世界で攻撃的な言葉が飛び交う近年の状況が危険なのは、それがアメリカの民主主義の根本的な変化を示すためではない。アメリカ人が直視しようとしない、この国に深く根差す歴史につながっているためだ。
これまで在任中に暗殺された大統領は4人。連邦制を守り奴隷制を終わらせようとしたエーブラハム・リンカーンは、1865年4月に首都ワシントンの劇場でジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。
ジェームズ・ガーフィールドは1881年7月にチャールズ・J・ギトウに銃で撃たれ、2カ月後に死亡した。
1901年9月にはウィリアム・マッキンリーが、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュに暗殺された。63年11月にはジョン・F・ケネディがリー・ハーベイ・オズワルドに暗殺され、国中が悲しみに沈んだ。
ルーズベルトもレーガンも
大統領がもう少しで命を落としかねなかった暗殺未遂も多い。33年2月、就任を半月後に控えていたフランクリン・ルーズベルトは、失業中の元れんが造り職人に殺されかけた。ジェラルド・フォードは75年9月、18日間に2度の暗殺未遂に遭った。
ロナルド・レーガンの人生は、81年3月にジョン・ヒンクリーに撃たれて終わったかに思われた。しかしトランプと同じく、レーガンは危機を自らの利益に変えてみせた。
レーガンと側近らは、けがは深刻なものではないと強調。銃弾に屈しない態度を示すため、手術室に入ったレーガンは外科医のチームに「あなたがたが、みんな共和党支持者だと思いたいね」とジョークを言った。
大統領候補も標的にされた。1912年10月には元大統領で第3党の候補として選挙戦を展開していたセオドア・ルーズベルトが、遊説中に銃で撃たれた。
弾丸は胸に命中したが、上着の胸ポケットに入っていた金属製の眼鏡ケースと分厚い演説原稿のおかげで致命傷には至らなかった。ルーズベルトは病院に行くことを拒み、そのまま演説を続けた。