自分たちは「いつも被害者」という意識...なぜイスラエルは「正当防衛」と称して、過剰な暴力を選ぶのか?
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<イスラエルが抱える「被包囲意識」について>
1947年11月29日の国連のパレスチナ分割案採択からの約半年間、イスラエル建国前後の熾烈な駆け引きが行われていた。
アラブ、ユダヤ、イギリス、国際連合...。それぞれの思惑が交錯する中で、ユダヤ人国家建設は何をもたらし、何を奪ったのか?
『パリは燃えているか?』の著者陣が史実を元に再構築した名著『[新版]おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流』(KADOKAWA)上巻より、大治朋子氏の解説「分厚い取材が生んだノンフィクションの金字塔」を一部抜粋する。
イスラエルが抱える課題と「被包囲意識」
本書を「いま」読む意義は何だろうか。
パレスチナ難民問題の長期化は、アラブ諸国の長年にわたる「無関心」や「ご都合主義」と無縁ではないだろう。イスラエル建国当時、アラブ諸国が一枚岩になりきれなかった背景には、現在もパレスチナ支援で一丸となれない彼らの「本質」が潜んでいる。
例えばエジプトは独自の路線を貫く。イスラエルはハマスが支配を始めた2007年からガザを封鎖している。しかしエジプトがガザとの境界をもっと柔軟に開放していたら、ガザの苦境はこれほど深まることはなかった。
エジプトはハマスとの政治的な対立の経緯などから、その扉を開放することはこれからもないだろう。
イスラエルが抱える課題の原点も本書には表れている。ベン・グリオンがトイレット・ペイパーに書いたという建国の宣言文は、「ユダヤ人国家」(下巻152頁)であり、「アラブ人住民が平等かつ完全な市民権をもつ」(下巻153頁)国家でもあり続けると定める。
それは「ユダヤ人の国」という民族主義と、「アラブ人にも平等」にという民主主義の両立を掲げたものだ。だがその実践は容易ではない。
保守化が進む近年のイスラエル政権は、アラビア語を公用語から排除するなど露骨な民族主義に偏重している。イスラエルは、建国の瞬間から根本的な矛盾を抱えて船出した国家なのだ。
毎日新聞のエルサレム特派員だった2014年夏、私は50日間続いたイスラエル軍とハマスの戦闘をガザ側から取材した。
戦闘終盤、イスラエル軍は南部ラファで「トンネル破壊のため」と称して住宅街に1トン爆弾を落とした。現場に急行した私が目にしたのは、瓦礫の山とその狭間にとらわれた人々の無残な姿だった。
会社からの要請もあり、私はその後ガザを出てエルサレムに戻った。車窓から、カフェで楽しげにアイスクリームを食べるユダヤ人の家族連れを見た。
ガザの子どもたちが泣き叫ぶ声がまだ頭から離れない私は、まるで異次元にいるような感覚におそわれた。これがエルサレムの現在の「日常」だ。
私は現地にいた6年半、専門家を訪ね歩いて同じ質問を繰り返した。
「なぜイスラエルは『正当防衛』と称して過剰な暴力を繰り返すのですか」
最も説得力を感じたのは、紛争心理学の研究で世界的に知られるテル・アヴィヴ大学名誉教授のダニエル・バル・タルの答えだった。