伝説的なジャーナリストが「戦場」で学んだ教訓...「危機」に陥ったとき、まず確保すべきものとは?
ON THE FRONT LINE
筆者(1979年撮影) MATTHEW NAYTHONS
<慎重に計画を立て、困難に直面してもユーモア精神を忘れるな。紛争地から生還し、現在は癌と戦うジャーナリストの危機対処法>
ロッド・ノードランドはフィラデルフィア・インクワイアラー紙、本誌、ニューヨーク・タイムズ紙の外国特派員として50年近く活動し、ピュリツァー賞にも輝いたジャーナリストだ。ニカラグア、カンボジア、ボスニアからアフガニスタンまで150を超える国で戦争や政変を追ってきた。
そんな彼が今年、回想録『モンスーンを待つ(Waiting for the Monsoon)』(マリナー・ブックス刊)を出版した。これまでの取材経験で培った世界を「観察する目」と、彼が現在戦っている自身の病について、本誌メレディス・ウルフ・シザーが聞いた。
──世界有数の凶悪なテロ組織のリーダーたちを間近で見てきたあなたならではの観点から、私たちが過激主義について理解すべきことは?
過激主義だけを切り離して理解することはできない。現在起きている紛争との関連で考えるべきだ。だがそれが難しい場合もある。女性や子供への暴力の場合は特にそうだ。
──あなたがレバノンの首都ベイルートから現地の情勢を伝えていた1985年、AP通信のテリー・アンダーソン記者がパレスチナのイスラム教シーア派テロ組織イスラム聖戦機構に拉致され、その後7年近く人質になった。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のエバン・ゲルシュコビッチ記者も昨年3月からロシアで拘束中だ。報道機関がスタッフの身の安全と真実の報道を両立させるには?
慎重に、スタッフの安全を最優先に考えるべきだ。テリーは当時私の近所に住んでいて、彼が拉致された数時間後、私はオフィス前で銃を持ったイスラム教シーア派の男たちに取り囲まれた。だが私は現地の経験豊富な同僚のアドバイスに従ってアリという男をボディーガードに雇っていた。アリは勇敢にも9ミリ拳銃を取り出して6人の敵に応戦し、私に逃げろとささやいた。
ボディーガードが本当に命懸けでクライアントを守るのか、私は日頃から懐疑的だった。私たちのオフィスはイスラム教ドルーズ派の管轄する地区にあり、当時シーア派とドルーズ派は不安定ながらも停戦状態だったので、私を拉致しようとした連中に応戦したのはとっさの英雄的行為ではなく計算ずくだった、とアリは説明した。こうした「ニアミス」から学んだのは、身の安全のためには慎重に行動しろということだ。
──現在、紛争地域を取材している報道陣に何かアドバイスは?
しっかり計画を立てること。私がイラクやアフガニスタンで取材していた頃は、あまりに危険なので各社がフルタイムの安全保障顧問を雇っていた。顧問は退役軍人だったが、彼らが持ち込んだのは銃火器ではなく軍事的経験だ。オフィスを出るときは、イスラム主義組織タリバンやIS(イスラム国)の道路封鎖や路肩爆弾に出くわしたらどうするか、考えられる状況について常に戦略を立てた。
常に車2台に分乗し、先行車には現地スタッフが乗った。トランシーバー2台をフロントシートの下に隠しておいた。外国人は2台目に乗り、1台目にはスマホやIDカードなど現地スタッフと私たち外国人をつなぐものは一切持ち込まなかった。この手順は業界標準となり、最善の慣行になりつつある。計画と現地の人々の専門的なアドバイスが全てだ。