「カワイイおじさん」インドネシア新大統領プラボウォの黒すぎる過去とその正体
A Cute Man’s Dark Past
残虐な元特殊部隊員?
プラボウォの名前が知られるようになったのは、インドネシアが1970年代に、ポルトガルの植民地支配から脱した東ティモールに侵攻したときだ。
特殊部隊の一員だったプラボウォは、東ティモールの英雄ニコラウ・ロバトの殺害に関与したとされる。
さらに西パプアでも独立派の虐殺に関わったとされるが、本人は一貫して否定している。
その後、プラボウォはスハルトの娘と結婚して政界でも知られる存在となり、一部ではスハルトの後継者と見なされるようにもなった。
98年にスハルトの独裁体制が崩壊したとき、プラボウォは民主活動家23人の拉致に関与したとされており、自ら権力を掌握しようとした可能性がある。
その後、インドネシアに民主主義体制が確立すると、プラボウォは一時国外生活を強いられたが、やがて政界に復帰。
2004年には大統領候補指名を目指し、09年には副大統領候補となり、14年と19年に大統領候補としてジョコと戦った。
その2回ともジョコに敗れたが、特に19年選挙では選挙不正を主張して敗北を認めず、死者を出す暴動を引き起こした。
このときジョコが、プラボウォを国防相に登用することで事態の収拾を図ったことは、多くを驚かせた。
これを機に、プラボウォは「ジョコの後継者」へとキャリアチェンジを図り、多くの若い有権者にとっては「カワイイおじさん」へとイメージチェンジを果たした。
それまでのプラボウォは、馬にまたがって選挙集会に登場するなど、強面(こわもて)のナショナリストのイメージを前面に押し出していた。
選挙演説も、外国の破壊勢力について警告するといった内容が多かった。
イメージ変更が大成功
ところが今回、プラボウォはしつこいくらいジョコに対する忠誠を示し、ジョコの政策継続を約束した。
かつてはジョコのことを、隠れ共産主義者で中国系で無神論者でキリスト教徒だと中傷していたから、相当な日和見主義者と言っていい(インドネシアではジョコ含め国民の大多数がイスラム教スンニ派)。
もちろん今回も、遊説中に外国人がインドネシアの富を盗み、駄目にしようとしていると主張するなど、ナショナリスト的な側面をのぞかせたときもあった。
だが、今回の選挙でプラボウォ陣営が何よりも強調したのは、「グモイ(かわいい)」イメージだ。