寸前まで検討されていた「アメリカの北朝鮮攻撃」、なぜ攻撃を断念したのか?
The Attack That Wasn’t
このときポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は、「アメリカの力に対する挑戦を全て終わらせたい」、これらの国々に対する攻撃は全て、この目的を達成する手段と見なされる、と語った。
「これらは戦争計画だった」と、ウィルカーソンは強調した。「私はある大佐に、概念的な計画なのか、それともTPFDD(時系列兵力展開データ)なのか、つまり、おそらく実行されるものなのかと聞いた」。大佐はこう答えた。「完全にTPFDDだ」
北朝鮮は優先的な標的だったが、他の標的に比べて軍事力が格段に優れていたため、攻撃計画は無期限に延期された。それについてウィルカーソンは次のように語る。
「対北朝鮮の計画をブリーフィングした米空軍将官は『悟っていた』ようだ。彼は『死傷者は10万人に達し、3万人は最初の30日間で、アメリカ人も多いだろう。韓国の首都ソウル地域には非戦闘員のアメリカ人が25万人いる』と言った。『これは後回しにして、中東のたやすい目標からやるべきではないか』と」
2003年3月のアメリカ主導のイラク侵攻は、大量破壊兵器の開発という捏造された証拠に基づいて正当化された。その意味で、北朝鮮はより説得力のある標的だった。既に相当量の化学兵器を保有していただけでなく、そのわずか2カ月前の2003年1月には、核拡散防止条約(NPT)から脱退を表明していた。
北朝鮮がNPTを脱退表明する1カ月前、アメリカは1994年の米朝枠組み合意に基づく重油供給を中断した。この協定は、北朝鮮が核施設の稼働を制限する代わりに、アメリカは民生用の「拡散防止」の核プログラムを支援し、署名後3カ月以内の制裁緩和を含む、政治的・経済的関係の正常化を実現するというものだ。これには経済関係の正常化に向けた重要な一歩である、対敵通商法の北朝鮮への適用を除外することも含まれていた。
しかし、暫定的なエネルギー供給はしばしば遅れ、米政府は8年間、約束の大部分を守らなかった。その事実は、1998年の米上院公聴会や、協定の首席交渉官だったロバート・ガルーチによって繰り返し指摘されている。
米朝枠組み合意の崩壊が北朝鮮のNPT脱退を引き起こし、同国の核兵器開発を禁じていた2つの条約が排除された。当時の推定では、北朝鮮は2000年代の終わりまでに核兵器を保有する可能性があった。そのため、アメリカ政府の主な目的が自国の影響圏外の国々が核能力を獲得するのを防ぐことであったとすれば、2003年前半には(他の全ての要素が同じなら)北朝鮮が優先的な攻撃対象になっていただろう。