先進国の「恵まれない人々」と「世界的な貧困の克服」が歓迎されない世界が必要とする、「新しい世界経済秩序」とは?
ISSUES 2024: THE CRISIS
「過度な自信は諸悪の前兆だ」
今から1000年後には、あるいはもっと早く、この250年間は過ぎ去った黄金時代となり、歴史のパノラマの例外的な一瞬になるのかもしれない。私たちは聖職者や軍閥に支配されていた啓蒙以前の世界に戻りつつあるのだろうか。それとも昨今の暗い見通しは、やがて克服する一時的な後退にすぎないのか。
進歩の継続に対する最大の脅威は、気候変動だ。私たちは何をするべきかを知っており、そのために必要な技術は急速に改良されてコストも抑えられている。だが、政治は必要な行動を支持しようとしない。
それでも有望な変化の1つは、罰則ではなくインセンティブに基づく気候政策の導入が進んでいることだ。これは極めて重要な変化である。民主主義国では、たとえ一時的でも、大多数の人々の生活を悪化させるような政策の実施は常に難しいからだ。
気候政策は、非民主的な社会のほうが実施しやすいかもしれない。過激な公衆衛生対策もそうだった。貧困国の民主的なガバナンスを弱体化させるような援助を長年続けてきた豊かな国々が、自分たちの民主的な有権者が今なお抵抗している気候政策をトップダウンで押し付けるための援助をするとしたら、それは恥ずべきことだ。
健康面での脅威も、進歩と後退の物語の中心的な要素であり続けるだろう。コロナ禍では驚異的なスピードでワクチンが開発され、比較的迅速に経済が回復するという人間のレジリエンス(再起力)が示された。
その一方で、パンデミックは今後私たちを待ち受ける災厄の予告にすぎない。歴史的に疫病は貿易ルートをたどって広がってきたが、それは現代も変わっていない。1990年代以降、世界の貿易はかつてないペースで拡大し、グローバルな価値の連鎖だけでなくウイルスの連鎖も確立してきた。
私たちは新型コロナワクチンの迅速な開発に過度の自信を抱くのではなく、エイズウイルスが確認されてから40年以上たってもワクチンがないことを思い出すべきだ。コロナ禍の教訓の1つは、「過度な自信は諸悪の前兆」だろう。
コロナ禍がもたらした明るいストーリーと暗い予兆のどちらを信じるべきなのかは分からない。だが、未来の疫病は罹患率や死亡率が高くなり得ることを強調しておきたい。