「とりあえず来ないでほしいのだが...」検問所を閉鎖するエジプトの「本音」と「建前」の中身とは?
EGYPTIAN FEARS
ハマスがガザを実効支配してからの16年間、イスラエルはガザへの人と物の出入りを徹底的に制限し、ガザを「天井のない監獄」と呼ばれる状態にしてきた。エジプトもこれに協力してラファの往来を制限した。
今回のハマスの攻撃後、イスラエルはガザ封鎖をさらに徹底し、電気や食料、水の供給も遮断。ヨルダン、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)などアラブ諸国がガザ住民の苦境を見かねて人道支援を呼びかけ、ラファ検問所前には物資を満載したトラックが約100台も集結した。
だがエジプトはイスラエルの空爆が続いていることを理由にトラックの通行を許可せず、イスラエルはハマスが人質を解放しない限り空爆停止には応じられないと主張。ガザの人道危機は悪化の一途をたどった。
シナイ半島は1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されたが、キャンプデービッド合意に基づき82年にエジプトに返還された。
長年エジプトを支配し、「アラブの春」で失脚したホスニ・ムバラク大統領は83年にマーガレット・サッチャー英首相(当時)と密約を交わし、レバノンにいるパレスチナ難民のシナイ半島移住を認めたとメディアが伝えたが、本人は生前この報道を否定。失脚直前の2010年にもイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相からシナイ半島にパレスチナ国家をつくる構想を提案されたが、これも拒否したと主張した。
エジプトでは今、イスラエルが地上侵攻を開始すればガザ住民がこの半島に大量に押し寄せるとの懸念が広がっている。イスラエル駐在のエジプト大使アミラ・オロンは10月11日、「シナイ半島はエジプトの領土だ」とX(旧ツイッター)に投稿。イスラエル軍の作戦のためにこの半島を避難区域にするようなことは許さないとの意思を示した。
しかし、シナイ半島はガザ住民の一時的な避難区域どころか、恒久的な住みかとなる可能性もある。実際、過去のイスラエルとパレスチナの紛争で近隣のアラブ諸国に逃れたパレスチナ人の多くはその後も故郷に帰れなかった。
イスラエルが建国した48年の第1次中東戦争で家を追われたパレスチナ難民の子孫には、今でも近隣諸国の難民キャンプで暮らしている人が少なくない。49~67年の大半の時期エジプトの支配下にあったガザの住民もまた、その多くは48年に発生した難民の子孫だ。