韓国「百済歴史地区」、日本人向け観光プロモーション強化中!
百済の王都を復元した「百済文化団地」 撮影:佐々木和義
<2015年、韓国中西部の公州、益山、扶余の8遺跡が「百済歴史地区」として世界文化遺産に登録されたが、現在、日本人の観光誘客に力を入れている......>
韓国中西部、忠清南道の公州(コンジュ)市と扶余(プヨ)郡、全羅北道の益山(イクサン)市が日本人の観光誘客に力を入れている。
7月後半、百済遺産を巡る日本人ファムツアーが2週にわって行われた。7月19日から22日、公州市と扶余郡が招待した日本の旅行会社やメディア関係者が百済遺跡等を視察した。26日から28日には忠清南道と全羅北道が招待した日本人ブロガーやインスタグラマーが、2市1郡の百済遺跡を見学した。
7月13日から16日にかけて同地域を襲った豪雨で被害を受けたことから主催者は中止を検討したが、見学先を被害が小さかった箇所に絞って実施した。
世界文化遺産に「百済歴史地区」として登録された
公州市は475年から538年まで百済の王都で、忠清道が南北に分割されて以降、1932年まで道庁が置かれた都市である。扶余郡は538年から660年まで百済王都として繁栄したが、百済滅亡以降、寒村といえる状態だった。
2015年、公州、益山、扶余の8遺跡が「百済歴史地区」として世界文化遺産に登録された。軍艦島(端島炭坑)など「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界文化遺産登録と同時である。
2015年6月21日に行われた日韓外相会談で、当時の岸田文雄外務大臣と尹炳世(ユン・ビョンセ)韓国外交部長官は、「明治日本の産業革命遺産」と「百済歴史地区」が共に登録されるよう互いに協力することで合意した。「百済歴史地区」は順調に登録が決まったが、「明治日本の産業革命遺産」は韓国の反対で紛糾、日本がインフォメーションセンターを設置すると提示し、韓国が譲歩して登録が決まった。
百済時代を再現したテーマパーク「百済文化団地」
7月19日から行われたツアーの参加者は、国立公州博物館を見学後、公州韓屋村に投宿した。公州韓屋村は公州市が2010年に開催された大百済典の目玉として建設した宿泊施設である。当初、韓国産マツなどを使用して建設したが、予定工期に間に合わないことが判明し、宮崎県のスギ集成材とプレカット材を投入した。
2日目は公州観光案内所のレクチャーを受けた後、公山城を見学する予定だったが、山城一体が前週の豪雨で被災したため、市内に遺る統治時代の日本家屋等を訪問した。3日目は扶蘇山城を見学する予定だったが、豪雨で被災した影響から中止となった。なお、2週目のファムツアーでは見学している。