韓国「百済歴史地区」、日本人向け観光プロモーション強化中!
扶余は朝鮮半島を統治した日本政府が最も注力した地方だった。大日本帝国政府は1937年、扶蘇山に神宮を建立して山全体を神域化する計画を発表した。神域面積は100万平米で、約70万平米の明治神宮を上回る。1939年に着工したが、戦況の悪化で遅延が続き、完成前に終戦を迎えた。
扶余の観光地は百済遺跡が大半だ。王都を泗沘(サビ・現在の扶余)に遷した聖王が仏像や仏典等を当時、倭と呼ばれていた大和にもたらした。百済と大和は、白村江の戦いで百済が滅亡するまで100年余り友好な関係を築いた。
日本と百済の友好は韓国でも知られているが、韓国内で百済遺産を見直すようになったきっかけを作ったのは日本だった。扶蘇山に加えて、定林寺址も統治時代の1942年、日本人考古学者の故・藤沢一夫氏が発掘した銘文から寺院名が明らかになり、その後の調査で百済の中心寺院だったことが判明した。
韓国政府が推進した「百済文化団地」の建設と運営をロッテが請け負った。百済時代の住宅や寺院を再現したテーマパークで、ロッテは3100億ウォン余りを投資したという。ロッテはいまや韓国有数の財閥企業だが、当時の資本を考えると、日本ロッテが相当額を出資したと考えられる。
ロッテは建設に着手したが、韓国内に百済関連史料はほとんどなく、主に日本の史料を参照したという。日本にない史料は中国の史料を参照した。韓国の人間文化財級の職人を投入したが、百済様式の経験はなく、飛鳥様式と朝鮮時代の折衷だという批判がある。
今年「大百済典」を開催する
公州市によるとコロナ前、同市を訪れた外国人は、日本人と中国人とベトナム人が多かった。扶余郡は具体的なデータはないが、ある観光関係者は日本人が最多と話す。
自治体が日本人ファムツアーを企画した目的は2つある。まずは百済遺産への誘客だ。公州市や益山市は中国人観光客が多いが、中国政府は7月時点で、韓国行き団体旅行禁止を解除していなかった。
もう一つは、大百済典への誘客だ。公州市と扶余郡は、1955年から毎年秋に開催していた百済文化祭の拡大版である「大百済典」を2010年に開催した。10年に一度、開催する計画だったが、コロナ禍で延期となり、今年9月23日から10月9日に開催する。今年の大百済典には、尹錫悦大統領が出席の意向を示しているという。
尹大統領はソウル生まれだが、宗族をあらわす本貫の地は公州に隣接する論山市で、今月亡くなった大統領の父親は公州生まれだ。尹大統領の父は一橋大学に留学した経験があるなど、日本との関係が深かった。
主催者が目標として掲げる外国人来場者は2万人。目標達成は日本人が鍵になるとみる人が少なくない。