「戦争が終わるまで支援を続ける」ウクライナで一番有名な日本人、土子文則が戦地にとどまる理由
Fuminori Tsuchiko
「ウクライナで一番有名な日本人」の土子文則 PHOTOGRAPHS BY KOSHIRO KOMINE
<75歳の日本人、土子文則がウクライナで無料食堂「フミカフェ」を開設。ヨーロッパ各国のメディアで注目され、ウクライナで最も知られた日本人となる。現地の支援活動の原動力となっている「過去の経験」とは。本誌「世界が尊敬する日本人100」特集より>
今年75歳の土子文則は、いま「ウクライナで一番有名な日本人」だ。
【動画】土子文則がウクライナで開設した無料食堂「フミカフェ」
「人生の最後は好きなことをしたい」と思い、2021年9月からヨーロッパへ長期旅行に来ていた時にロシアの侵攻が始まる。当時滞在していたポーランドで多くの避難民を見て、「自分にも何かできることはないか?」と、昨年4月にウクライナに入国した。
まず領土防衛隊に入隊し、病院などで衛生兵としてボランティアで働いた。ロシアと国境を接する北東部のハルキウ市で地下鉄構内に人々が避難しているニュースを見て、6月から現地入り。それから約6カ月間、避難民と一緒に地下鉄構内で生活を共にした。
団塊の世代で、戦後の報われない貧しさや学生運動を経験した。ハルキウの地下鉄構内で避難しない、できないウクライナ人の姿を目の当たりにしたとき、彼らを助けたいという思いに火が付いた。
その後、戦争が長期化しそうな状況に危機感を感じ、使い慣れていないSNSで支援を呼びかけるようになる。それが日本の支援グループのもとに届いて次第に支援者が増えていった。昨年末に地下鉄構内を退去した後も近所のアパートに住み続け、日本から送られた物資の配給を続けた。
次の一手として、クラウドファンディングを使って約700万円の資金を集め、今年4月にハルキウ北東部のサルティフカ地区で子供や貧しい人々のための無料食堂FuMi Caffe(フミカフェ)をオープンした。
逮捕からやり直した人生
共同経営者でレストランをやったことのあるウクライナ人女性ナターシャのアイデアで、カフェは年中無休で毎日正午~午後3時まで営業。1日に約1000食を提供する。ウクライナ人スタッフを10人ほど雇い入れ、大きな課題の1つである雇用創出にも一役買っている。
ハルキウは昨年9月にウクライナ軍が奪還してから状況が安定しており、食材などの流通には支障がない。食堂の運営はナターシャが受け持ち、土子は宣伝と資金集めを担当。倉庫整理やテーブルの片付けもする。土子は英語は片言で、ウクライナ語はできない。カフェには英語を話す人がいないため、ほぼスマートフォンのグーグル翻訳に頼っている。
カフェのオープン後、ウクライナはもちろんヨーロッパ各国のメディアで取り上げられ、土子はウクライナで一番有名な日本人になった。個人、団体、企業、ハルキウ州、駐日ウクライナ大使館など着実に支援の輪が広がっている。「フミがいなかったら、私たちはどうなっていたか......。フミはもう家族です」と、ナターシャは言う。
東京都練馬区で生まれた土子の人生は決して平坦ではなく、3度の結婚や妻との死別も経験した。大学卒業後は公務員や一般企業の社員をしていたが、3人目の妻と死別した後で自暴自棄になり、生活苦の末、窃盗で逮捕されたこともある。「終わり良ければ全て良しというわけじゃないけど、最後くらいは良いものにしたい」