エロくて下品で豪快な「政界のドン」ベルルスコーニが逝く
Death of the “Teflon Don”
Guglielmo Mangiapane-REUTERS
<好物はトップレスの女性。盟友はカダフィとプーチン。疑惑と暴言で世界を騒がせ、転落のたびに何度もはい上がってきた大物政治家の生涯について>
第2次大戦後のイタリアで最長の在任記録を誇ったシルビオ・ベルルスコーニ元首相が、何より望んだのは「人々に愛される」ことだった。
国際政治の舞台でも、若き日に歌手デビューしたクルーズ船でも、6月12日に86歳で亡くなるまで彼が求め続けたのは群衆の拍手喝采──まさに承認欲求の権化だった。
公式に政権の座を降りたのは2011年11月。黒塗りのリムジンで首都ローマのクイリナーレ宮殿を訪れ、ジョルジョ・ナポリターノ大統領に辞意を告げた。だがその後も陰の大立者としてイタリア政界に君臨し続けた。
ベルルスコーニを辞任に追い込んだのは経済の悪化に対する庶民の怒りだった。政権を失い悄然とする彼を乗せ、運転手は行く手をふさぐ野次馬を避けつつベネツィア広場の私邸へとリムジンを走らせた。
車に銅貨を投げ付ける者、「マフィア、泥棒!」と唾を吐く者。沿道には腐敗した指導者の失脚を祝って「ハレルヤ」を歌う即席のコーラスグループまで現れ、いかにもイタリア人らしい皮肉な祝賀セレモニーが繰り広げられた。
イタリアでは政権交代は日常茶飯事だが、ベルルスコーニの転落劇には特別な意味合いがあった。「テフロンのドン」と呼ばれた彼は首相官邸を去る日まで数々の疑惑でメディアを騒がせてきた。
その1つが10年に発覚した17歳のダンサー、ルビーとの性的スキャンダルだ。彼女が窃盗容疑でミラノ警察に逮捕されると、ベルルスコーニが手を回してすぐに釈放させた。取り調べで余計なことをしゃべるのを恐れたのだ。
だが警察に圧力をかけたと批判されると、ベルルスコーニはルビーがエジプトのホスニ・ムバラク大統領(当時)の親族だと思い込んでいたので釈放を指示したと言い訳した。
それは真っ赤な嘘で、ルビーはミラノ郊外のベルルスコーニの別荘で開かれるブンガブンガなるパーティーで客をもてなすダンサーだった。