「仮釈放はさせない」──反省なく犯人が社会に戻ることは絶対に許さない、被害者家族の闘い
My Brother’s Killer Is Up for Parole
カリフォルニア州の死刑制度は複雑な変遷をたどってきた。1976年、州は死刑を廃止。パバジョーも減刑されることになり、次に重い量刑(仮釈放の可能性がある終身刑)が改めて言い渡された。
やがて毎年行われる仮釈放の審査は私たち家族にとって日常の一部になった。私はいつも、仮釈放審査の聴聞会が開かれている部屋の隣で両親を待っていた。
私たちはずっと、官僚主義の迷路に閉じ込められたと感じていた。78年には死刑が復活したが、あの男の刑は元に戻らなかった。こうしてパバジョーを刑務所に閉じ込めておくための45年にわたる闘いが始まった。
司法制度の壁は厚い
その間に両親は、犯罪被害者とその家族を守る運動に力を入れるようになった。母は「殺人被害者のための正義」という団体を立ち上げ、州都サクラメントや首都ワシントンで仲間と仮釈放審査や量刑手続きのルール改正を訴えたが、その実現は容易ではなかった。
2010年と11年に両親がそれぞれ亡くなった後も、私は闘い続けた。今は、私と同じように官僚的で冷たい司法制度の厚い壁に圧倒されていると感じる人々を助ける団体で活動している。
今年4月25日、パバジョーは再び仮釈放の審査を迎えた。私はカリフォルニア州仮釈放委員会で被害者として意見陳述を行い、この冷酷な殺人犯を拘束し続けるよう要請した。私たち家族が意見陳述を求められたのは、これで18回目だ。
仮釈放委員会はパバジョーをさらに最長15年間収監する権限があるが、その確率は低いだろうと私は考えていた。むしろ釈放の可能性すらある、と。
義姉のアネットにとって、聴聞会は言葉にできないほどのトラウマだ。自分の人生を破壊した人間と対面する状況に身を置くことはできないので、義姉は弁護士を代理人に立てた。
犯罪行為の詳細を何度も何度も聞かされた上に、受刑者の態度に変化がないのを目にするのは耐え難い経験でしかない。幸い、見ず知らずの他人による殺人はめったに起きることはない。だが実際に起きた場合、被害者の家族や友人が受ける付帯的被害は甚大だ。