「独裁者」習近平の陰に隠れた「最弱」首相...それでも改革を貫いた李克強が遺したもの
Li's Real Legacy
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李が首相を退任しても、彼が擁護し続けてきた改革主義の価値観は中国に生き続ける FLORENCE LOーREUTERS
<習近平の風下に10年間立ち続け、影が薄いまま政界を去る「最弱首相」が、党内に刻んだ改革主義のレガシー>
任期満了に伴い間もなく引退する中国の李克強(リー・コーチアン)首相は、この数十年間で「最弱」の首相として人々の記憶に残ることになりそうだ。
一強体制を築いた習近平(シー・チンピン)国家主席に比べて、李の影響力は見劣りしてきた。それが最も浮き彫りになったのが、昨年10月の中国共産党第20回党大会。発表された党指導部の人事で、李の一派は習とその仲間たちからひどく冷遇される結果となった。
しかし、広く認められるレガシーと実際に当人が残した功績は同じではない。その一例が、中国の改革開放の立役者とあがめられている鄧小平だ。
中国研究者のジュリアン・ゲワーツが指摘するように、鄧時代の主な思想や政策は実はその多くが、1989年の天安門事件で失脚し、共産党の歴史から事実上抹消された元総書記の趙紫陽が示したものだった。
同様に李も、実際の貢献がレガシーに正しく反映されていない指導者ではないだろうか。確かに彼はその政治的な弱さから、もともと2期10年の任期でやれることは限られていた。それでも李は改革主義の原則を一貫して擁護し、最近になって中国政界のエリート層の間で小さいながらも重要な勝利をつかみ取った。
改革主義者とは大まかに言って、70年代後半以降、国家主導型の経済運営より自由主義市場への移行や実用主義を好んだ共産党の一派を指している。共産党指導部は今も、李のような改革主義者と習のような強硬派に大きく分けることができる。
中国に改革主義を生き残らせた功績
習は口先では改革開放をうたってきたが、彼の価値観が改革主義と相いれないことは容易に分かる。米フォーダム大学の中国専門家カール・ミンツナーが指摘したように、習の言う「新時代」とは、権威主義が拡大され実用主義が縮小される「反改革の時代」と理解すべきかもしれない。
しかし習が政治経済の運営に反改革的な手法を取ってきたにもかかわらず、改革主義の価値観は生き残った。そして何年にも及んだ規制強化や、コロナ禍によるロックダウン(都市封鎖)などを経て、改革開放の原則はこの数カ月で中国の政策決定に再び重要な位置を占めるようになった。
もちろんコロナ後の中国で改革主義が復活した背景には、影響力を持つ多くの人々とさまざまな問題が関係している。しかしこの展開に影響を及ぼした人物として、李はもっと評価されるべきかもしれない。昨年1年間を通じて李は、経済問題に積極的に発言するようになり、習に正面から挑戦しているとさえみられた。
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