韓国核武装「890計画」の幻
Nukes in the South, Too?
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アメリカへの猜疑心や不安が募るなか、朴大統領(車上で敬礼する人物)は独自の核開発を目指した BAEK JONG-SIK/WIKIMEDIA COMMONS
<北朝鮮の脅威の高まりで盛り上がる核武装論、学ぶべきは軍事独裁政権時代の失敗例だ>
韓国は独自の核武装に踏み切るべきか。そんな論議が、再び大きく取り上げられている。最近、韓国で行われた世論調査では、独自の核兵器開発が必要だと回答した人の割合が76.6%に達した。
韓国政府内では、その論調はさらに強い。今年1月には、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領自身が核武装の可能性を示唆した。
もっとも、韓国が核開発を検討する(どころか、着手を決意した)のは、これが初めてではない。現在では考えられない話だが、アメリカは1970年代、北朝鮮よりも韓国の核計画を懸念していた。
軍事独裁政権下の74年、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は極秘の核兵器技術開発計画「890」を承認した(韓国軍が主導する核兵器設計作業は72年に始まっていた)。
当時は、朴にとって不安の大きい時期だった。自身の暗殺を狙った北朝鮮支持者の銃撃で、妻・陸英修(ユク・ヨンス)が死亡したのは74年8月。74年と75年には相次いで、南北軍事境界線に設置されたDMZ(非武装地帯)で、北朝鮮の「南侵トンネル」が発見された。
さらに、ニクソン米政権の在韓米軍削減決定を受け、71年に駐留米軍主力2個師団のうちの1つ(計6万3000人のうち約2万人)が引き揚げたことに、朴は不満を抱いていた。
今から思えば、韓国防衛というアメリカの約束に対して猜疑心を募らせていたのだろう。だが、朴の強硬姿勢にもかかわらず、米政府は核武装を断念させることに成功した。
70年代の出来事から学べる教訓は何か。核のリスクがかつてないほど膨らむ今、当時を振り返ってみるべきだろう。
韓国の核に対する野望が大問題になったのは74年だ。この年、米情報機関は韓国の核活動を示す証拠の収集を始めた。その数は増える一方で、計画に歯止めをかけなければ、80年までに核兵器を保有する可能性があるとみられた。
燃料物質の再処理施設の導入に向け、韓国がフランスと交渉しているとの情報もアメリカはつかんだ。実現すれば、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す活動に使用されかねない。韓国は原子炉購入をめぐってカナダとも交渉していた。
米政府は75年2月までに、単独行動と多国間協調行動を通じて、韓国の機密技術・機器へのアクセスを阻止することを検討していた。核開発能力だけでなく、ミサイル技術の向上も韓国の目的だと、米情報機関は報告していた。