最新記事

トラベル

南極ツアーの復活で雪と氷の大陸が危機にさらされる

Antarctica Under Threat?

2023年2月15日(水)17時10分
エリザベス・リーン、アン・ハーディ、カンセン・ウイ、キャロリン・フィルポット、ハンネ・ニールセン、ケイティ・マークス(いずれもタスマニア大学)
南極

ペンギンなどの野生生物に親しめるのも魅力だが、外来種を持ち込んだり、温暖化ガスを大量排出するリスクも VARGAJONES/ISTOCK

<コロナ後の観光復活で10万人以上が訪問、危ぶまれる「最後の秘境」のオーバーツーリズム>

南半球にようやく太陽が輝く季節がやって来た。南極の観光シーズン到来だ。

この夏、氷の大陸を訪れる観光客は10万人を超えると見込まれている。南極旅行の一般的手段はクルーズ船で、運航数は50隻以上。南米最南端のホーン岬の沖に位置し、荒れることで知られるドレーク海峡を縦断する2日間の船旅が南極への通常ルートだ。

【動画】南極ツアーの様子

コロナ禍だった2020年と21年、南極の観光客は計15人にすぎなかった。だが今や、ツーリズムがかつてを上回る勢いで復活している。今シーズンに予想される観光客数は、新型コロナのパンデミック以前の最盛期より40%以上多い。

地球上で最後の原生地域といわれる南極にとって、大勢の観光客は害になるだけなのか。答えはイエスで、ノーだ。

南極観光は適切に運営され、大半の旅行者にとって自然の重要性を理解する機会になっている。さらに、観光客が実際に南極や周辺の島に滞在する時間は驚くほど短い。

だが市場は膨らみ、環境への影響は大きくなっている。クルーズ船が排出する大気汚染物質で、太陽光を吸収する性質を持つブラックカーボンがいい例だ。観光客が、ブーツや衣服に付着した微生物や種子など侵略的外来種を持ち込む可能性もある。

この地域に初めて旅行者が訪れたのは1950年代。南極海にあるサウスシェトランド諸島の観測基地へ補給に向かうチリとアルゼンチンの海軍艦船に「ヒッチハイク」してやって来た。60年代後半以降は、専用の砕氷船がさらに南下するようになった。

南極ツーリズムが本格化し始めたのは、旧ソ連の砕氷船が入手可能になり、10社ほどが観光ツアーの提供を始めた90年代前半のこと。21世紀を迎える頃には年間観光客数が1万人を上回るようになった。

最近では「観測船型」の小型船舶に乗り込み、比較的アクセスしやすい南極大陸西部の南極半島を目指すケースがほとんどだ。到着後はゴムボートに乗って、野生生物や氷山をより間近で目にしたり、上陸してペンギンやアザラシの群れを訪れたり。カヤックやパドルボード、極寒の海での水泳(もちろん水温はマイナスなので、ごく短時間だ)を体験することもできる。

クルーズは持続不可能?

多くの場合、宿泊や食事は船内で行う。旅行者の3人に1人以上は南極大陸をその足で踏むことがない。実際に降り立った人も寝泊まりはせず、通常は短い時間を過ごすだけだ。より冒険心のある旅行者のために、季節限定で設けられる野営地を利用して、さらに奥地を訪れるツアーもある。

南極には、常設のホテルは存在しない。昨年開催された第44回南極条約協議国会議では、観光などを目的とした恒常的施設の建設に反対する決議が採択された。

活動家の間では、拡大するツーリズムの影響は持続不可能だと警告する声が上がる。環境保護NGOネットワークの南極南大洋連合(ASOC)によれば、既に気候変動の重大な負荷にさらされている南極の環境が、クルーズ旅行でさらに重圧を受けることになりかねない。

観光客が最も集中するエリアでは、雪に沈着するブラックカーボン濃度がより高く、太陽光吸収のせいで融雪を引き起こしている。クルーズ船の往来には、デリケートな南極海の海洋生態系に外来種を持ち込むリスクもある。しかも、どこから行っても遠い南極への渡航者の1人当たり二酸化炭素排出量は、ほかのクルーズ旅行より大きい。

もちろん、南極観測にも同様の環境コストが伴う。人的規模はずっと小さいが、科学者や支援スタッフが南極に滞在する時間ははるかに長い。

そもそも「持続可能なクルーズ旅行」は、あり得ないものなのか。そのとおりだと考える向きは多い。

巨大産業のクルーズ業界は、マスツーリズムやオーバーツーリズム(観光客の過剰な増加)を招いてきた。受け入れ不可能なレベルの旅行者をもたらし、地域住民の生活が悪影響を受け、化石燃料由来の温暖化ガス排出量をさらに増やしている。

南極にとって最も差し迫った問題は旅行者の過剰、環境的影響や温暖化ガスだ。年間10万人という観光客数は、世界水準に照らせば、ごく少ない(パリの19年の外国人旅行者数は2000万人近い)。だが南極観光は毎年、わずか数カ月間に、極めて脆弱な生態地域に集中している。

一方で、強力な保護制度も設けられている。南極条約とその関連条約の締約国は、国内を拠点とする観光業者に許可申請や厳格な環境規制の遵守を求めている。外来種の侵入を防ぐため、旅行者は上陸前にブーツを消毒し、野生生物と一定の距離を保つなどのルールに従う必要がある。

「環境意識効果」の真偽

南極クルーズ船の所有会社はほぼ全て、国際南極旅行業協会(IAATO)に加盟している。協会は今年、環境配慮を高める取り組みの一環として、会員に燃料消費総量の報告を義務付けた。電気推進システムを用いたハイブリッド船の導入も始まっている。

著名な紀行作家のピコ・アイヤーは昨年11月、ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、南極訪問体験についてこうつづった。「世界の環境問題への認識を迫られる......喜びに満ちた思い出と共に、自らの良心に対する重大な問いを胸に帰宅することになる」

アイヤーだけでなく、南極旅行者の多くが同様の反応を示す。このように観光客が環境問題への意識を高め、発信することは業界内では「南極アンバサダーシップ」として知られ、南極観光を推進する宣伝文句になっている。

だが、この効果は本物なのだろうか。南極旅行と環境に優しい行動の関連性をめぐる複数の研究結果は一致しない。筆者らは業者2社と協力して南極観光を検証し、長期的な「アンバサダー効果」につながるカギを考察している。

今年南極を訪れる予定なら、貴重な体験をぜひ楽しんでもらいたい。とはいえ、注意は忘れずに。環境コストなしに南極旅行はできないことを認識し、現地で、そして家に帰ってから取るべき行動を賢く判断してほしい。

The Conversation

Elizabeth Leane, Professor of English and Associate Dean, Research Performance, University of Tasmania; Anne Hardy, Associate Professor, Tourism and Society, University of Tasmania; Can Seng Ooi, Professor, University of Tasmania; Carolyn Philpott, Senior Lecturer in Musicology, Conservatorium of Music, School of Creative Arts and Media; Adjunct Senior Researcher, Institute for Marine and Antarctic Studies, University of Tasmania, University of Tasmania; Hanne E.F. Nielsen, Lecturer, University of Tasmania, and Katie Marx, PhD Candidate, Centre for Marine Socioecology, University of Tasmania

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 3

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの過激衣装にネット騒然

  • 4

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 5

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 6

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 7

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 10

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中