毎日ウオッカを1.5リットル...重度の「依存症」だった私が救われた「瞬間」の出来事
“Alcohol Almost Killed Me”
ウィルソンは依存症から脱するには仲間の支えが不可欠だと実感した DAVID WILSON
<母の家出をきっかけに、14歳から酒に溺れた私。身も心もボロボロになった私を救ってくれたのも、同じく母だった>
私はまずまず普通の家庭で育った。父は自家製ワインを造っていたが、痛飲する姿は見たことがない。14歳のとき母が突然、家を出て行った。事前に何も聞かされていなかったからショックだった。
それまで私はおとなしい子で仲間と群れるのは苦手だったが、母がいなくなると同年代の子たちとつるんで酒を飲むようになった。飲むと強気になり、仲間に受け入れられている気がした。
その後も酒で鬱憤を晴らし続けたが、30代になって酒量が増えだした。1990年に職を求めてイングランドのサットンに移り住み、92年にカーペット職人として独立。近所の住人に誘われて地元のパブに通いだし、早飲みで鳴らすようになった。
やがてパブの向かいの店で酒を買い込み、家で1人で飲むようになった。それをきっかけに飲み方が変わった。酒量はどんどん増え、二日酔いで仕事に行くようになった。
40歳でサットン郊外のベルモントにあるしゃれたコテージに引っ越した。そこが自分の牢獄になるとは夢にも思わなかった。金曜の午後に酒を買い込み、週末は朝から晩まで飲み続けるありさま......。
ワインの飲みすぎで激太りし減量しようと思ったが、酒はやめられない。低カロリーの酒を求めてウオッカに行き着いた。そして毎日ウオッカを1.5リットル飲むようになった。
2014年に結婚。酒浸りの生活を変えなければと思った。だがいくら断酒を決意しても三日坊主で終わる。
断酒のきっかけは夢の母
18年10月、母が亡くなった。私は死にゆく母に付き添い、手を握ってみとった。その瞬間、子供の頃に母が私を捨てて去っていった恨みがスーッと消えて、「ママ、愛しているよ」と初めて言えた。
その3週間後、実にリアルな夢を見た。夢の中の母は晴れやかな顔で、「私のことは心配しないで」と告げた。
その後クリニックに行くと、「あんたは歩く心臓発作だ」と医者に言われた。血圧は186/124。体重は130キロ近くで、靴下をはくだけで息切れがした。
19年初め、友人から一緒に断酒しないかとテキストメッセージで誘われた。私は夢に現れた母のことを思い、その晩友人に会って「やってみる」と伝えた。そして19年1月7日に酒を断った。
当初は断酒会のアルコホーリクス・アノニマス(AA)の会合に出てみたがしっくりこなかったので、インスタグラムを通じて自分で依存症者のコミュニティーを探し、目に留まった会に参加した。