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東南アジアミャンマー、スー・チーの裁判が結審 禁固刑合計33年で政治生命絶つ狙いか
すべての裁判が結審したアウン・サン・スー・チー。写真は2017年のもの。Soe Zeya Tun - REUTERS
<軍政主導の「民主的選挙」前にスー・チーら民主派勢力の一掃を図る?>
ミャンマーで軍事政権の強い影響下にある首都ネピドーの裁判所は12月30日、2021年2月1日の軍によるクーデターが起きるまで民主政府の実質的指導者だったアウン・サン・スー・チー氏に対し汚職などの容疑5件について禁固7年の実刑判決を言い渡した。
これでスー・チー氏の裁判は19件すべての審理が結審したことになり、言い渡された禁固刑の合計は33年となった。
ミン・アウン・フライン国軍司令官率いる軍事政権は2023年8月までに「民主的選挙」を実施することを発表しており、年内にスー・チー氏の裁判をすべて終えて、2023年からは選挙実施に専念したいとの軍政の意向が12月30日の「全ての裁判で結審、判決」に反映したとみられている。
クーデター発生当日にネピドーの自宅で身柄を拘束されて以来、スー・チー氏は自宅軟禁下に置かれ、その後ネピドー郊外の刑務所に収監となり、19件の容疑で訴追され被告の身となっていた。この間1度だけ法廷でのスー・チー氏の写真が公開されたものの、消息や動向は弁護士を通じて伝えられるだけだった。
そして刑務所収監後は刑務所内の特別法廷で裁判が続き、独房での様子が断片的に漏れてくるだけだった。健康問題には変化ないものの、自宅軟禁時に一緒だった馴染みのお手伝いさんや愛犬の「同行」は許されず、孤独な日々を送っていたという。
また裁判所が弁護団に対して「法廷での被告の様子を海外メディアなどの部外者に公表することを禁ずる」と命じたため、スー・チー氏の健康状態を含めた状況はほとんど外部に伝えられることはなくなってしまった。
弁護団は以前、スー・チー氏は訴追されたすべての裁判で「事実無根である」として容疑を全面的に否定していることを明らかにしていた。このため公判でスー・チー氏は無罪を主張したものの、軍政の意向を反映して公平、公正な裁判とはかけ離れた審理が進められた。その結果スー・チー氏は訴追されたすべての裁判で有罪となり禁固刑という実刑判決を受けた。
軍政は2023年に「民主的選挙」を計画しているが、スー・チー氏や民主政府の与党でスー・チー氏が率いていた「国民民主連盟(NLD)」関係者らの参加を阻止し、スー・チー氏の政治生命を完全に絶ち、民主派勢力の動きを封じ込めたい考えだ。今回の禁固刑の判決もこうした軍政の意向が色濃く反映された結果になったといえる。
抵抗勢力との戦闘激化
軍によるクーデター発生から間もなく2年を迎えるミャンマーだが、国内の治安は依然として不安定は状態が続いている。
これは国境周辺を拠点とする少数民族武装勢力やクーデター発生後に民主派が組織した反軍政組織「国民統一政府(NUG)」が組織した武装市民勢力「国民防衛軍(PDF)」が各地で軍と戦闘を続けていることが主な要因だ。
軍政は力による抵抗勢力掃討に力を入れるあまり、無実、非武装、無抵抗の一般市民が多数戦闘に巻き込まれ、暴行、拷問、虐殺といった人権侵害が多数発生する事態になっている。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など