太田光が「統一教会信者にも言葉が届けばいい」と語る理由
戦前の日本のテロリズムは、1921年の朝日平吾による大富豪・安田善次郎の暗殺から連鎖した。朝日は強い疎外感を抱いた若者だった。「幼児から極めて薄幸」だったと自己を語り、母との死別、継母との確執から社会と人間への不信感を強めていく。彼は不平等を呪い、幸福に生きたいと願った。
そんな朝日に社会は同情し、原敬暗殺事件のような模倣犯が生まれ、テロが連続していった。暴力の連鎖は萎縮を生む。暴力の連鎖は今でも起こり得る。無論、言論の世界に生きる人々は襲撃の対象だ。
言葉を諦めれば、暴力は連鎖する
太田:今の日本では連鎖しないなんて言われたこともあるけど、実際に俺の家に卵を投げ付けた奴がいるじゃないか。言葉を諦めて、暴力に訴える人は今の状況をよく見ているよ。
山上容疑者も言葉を諦めている。残酷な環境に育っていたことは分かるし、言葉を諦めざるを得ない世の中が悪かったのだ、という反論はあるだろう。しかしそれこそが「言ってもわからないから殴ったのだ」という暴力を振るった人が必ず口にする主張だ。言葉を諦めるという判断をしたのは自分自身だ。世の中のせいではなく、やっぱり自分の責任だよ。成人である以上、自分の行為は自分で責任を取るというのが法の基本じゃないのって思うよね。
(被害の救済に取り組む)全国霊感商法弁護士連絡会の弁護士たちも、旧統一教会問題を政治家やメディアに言葉で届けようとしてきた。言葉を諦めていない人たちはいるじゃないか。強調しなければいけないのは、ここだよ。
太田に対する批判がさらに過熱したのは、「拉致」という言葉を使ったことにあった。カルト宗教の脱会支援活動に携わる者たちは信者の「保護、説得」という言葉を使い、旧統一教会側は脱会支援者は、信者を「拉致、監禁」しているという言葉で批判してきた歴史がある。太田は「拉致」という言葉を使ってしまった理由に、山上容疑者が最後の最後に手紙を送ったジャーナリスト、米本和広の著作を読んだことがある、と語った。