最新記事

事件

現金3400万円残し孤独死した右手に指のない女 40年住んだ町で住民登録がない謎すぎるその正体は...

2022年12月22日(木)11時45分
武田惇志(共同通信社記者)、 伊藤亜衣(共同通信社記者) *PRESIDENT Onlineからの転載

警察は記者以上の「取材」を尽くしていた

宮部みゆきの小説『火車』には、休職中の刑事が警察手帳が使えずに調査で苦労する話が出てくるが、やはり警察だからこそ調べられることが世の中には数多くある。裁判所から令状を取得した強制捜査はもちろんのこと、任意でも「捜査関係事項照会」という刑事訴訟法上の手続きを使えば、さまざまな情報を取得できる。それによほどの事情がない限り、警察から何か尋ねられて答えを拒む人は、そうそういないだろう。

一方、報道機関としての名刺はあっても実質的には何の権限もない記者は、役所に住民登録の有無さえ聞き出すことはできないし、銀行に照会をかけることもできない。歯についてはおそらく遺体の歯から治療痕が見つかり、治療履歴を徹底的に調べて歯医者にたどり着いたのだろうが、そんな芸当も警察にしかできないだろう。記者風情ができる範囲で調べ直していまさら何がわかるのかと、投げやりな気持ちにもなってくる。

なお、労災年金支給を示す、尼崎労働基準監督署発行の年金証書も残されており、年金手帳と同じ名前と生年月日が記されていた。「平成6年(1994年)12月15日」、「労災補償保険法によって給付決定を証す」とある。警察の捜査ではその後、年金支給を自ら打ち切ったことが判明。それにもかかわらず金庫に残されていた現金が多額であったため、警察署内では女性が工作員ではないかとの声が上がったという。

大家も「田中千津子」さんなのか知らない

その後、今度は家庭裁判所の中でも調査官という調査専門の役職が、大家から女性について聞き取りをしたが、ほとんど手がかりは得られなかった。40年間の店子について、契約書類からわかる以上の証言は得られず、亡くなった女性が「田中千津子」さんなのかすら知らないというのだ。

当時の賃貸借契約書は、茶封筒に入っている状態で見つかった。書面は縦書きで、1980年代の文書の割には幾分、古めかしい印象だった。アパートは「文化住宅」と表現され、1カ月の家賃が2万2000円となっている(当時)。

契約日は1982年3月8日で、貸主は当時の大家(故人、現大家の夫)。借主は「田中竜次」で田中の印があり、勤務先は「富士化学紙 (471)71××」、住所は錦江荘の住所となっている。直前に住んでいた住所ではないのだ。「媒介者」として尼崎市の不動産業者の名もある。

法的な意味での「賃借人」が「田中竜次」である理由は、この契約書が残されていたためだった。しかし、少なくとも確実にそこに住んでいたとみられるのは、「田中千津子」と目される女性のみである。

勤務先となっている富士化学紙工業は、その後、「フジコピアン」に社名を変更している。警察は同社に「田中竜次」名で過去の在籍について照会したものの、同名の社員がいた事実は確認されなかったという。

プロの探偵も収穫ゼロの「製缶工場調査」

さて、「田中千津子」さんの遺体発見から約10カ月経った2021年2月15日、太田弁護士が相続財産管理人に選任される。太田弁護士は自ら錦江荘へ赴き、片付け作業に従事したが、身元特定につながる資料は何も見つからなかったという。

太田弁護士は、女性が亡くなってからかなり時間が経過しており、関係者の記憶もどんどん薄くなっていくことを懸念して、探偵を雇って調べることに。3月からほぼひと月にわたって、プロの探偵が調査に入ることになった。

探偵は有用な情報を整理したうえで、調査事項を大家・製缶工場・商店街・尼崎駅周辺の4つに絞り込み、聞き込みに回ったようだ。

製缶工場に関しては、近隣住民への調査から、当時の経営者は10年以上も前に死去していたことが判明。登記上の経営者宅は空き家状態になっていた。高齢の妻は重度の認知症で、一人娘が引き取ったという。その後も周辺の調査に手を尽くしたようだが、成果は上がらなかった。工場の関係者が女性と面識があったのは確実であり、この線での調査の失敗に探偵も残念がっていたという。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中