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気候変動マヤ文明の首都の崩壊は、長引く干ばつが内戦を煽った可能性がある
マヤパンの崩壊には、気候変動が関わっていた...... Claudia Luna-iStock
<ユカタン半島で1200年から1450年にかけて先住民族マヤの首都であったマヤパンの崩壊は、長く続いた干ばつが関連している、と研究>
メキシコ湾とカリブ海との間に突き出すユカタン半島で1200年から1450年にかけて先住民族マヤの首都であったマヤパンは、1441年から1461年に政治的対立や内戦が最も激しくなり、完全に崩壊した。この間、干ばつが長く続いていたことも明らかになっている。
長期にわたる気候変動が緊張をもたらし、政治暴力に至った?
米カリフォルニア州サンタバーバラ校の人類学者ダグラス・ケネット教授らの研究チームは、2022年7月19日、オープンアクセスジャーナル「ネイチャーコミュニケーションズ」で「長引く干ばつが内戦を煽り、制度的不安定をもたらし、マヤパンの崩壊を招いた可能性がある」との研究論文を発表した。
研究チームは、まず、酸素同位体記録や放射性炭素データ、人骨のDNA配列などの考古学的・歴史的データをもとに、1400年から1450年までの騒乱期をドキュメント化した。さらに、この地域の気候データとマヤパンの地下にある洞窟の堆積物から得た干ばつの記録とを組み合わせた。
これらのデータを分析したところ、1400年から1450年にかけて内戦が著しく増加し、マヤパンでの紛争と干ばつには相関があった。つまり、干ばつとマヤパンでの紛争という環境下で制度的崩壊が起こったとみられる。
当時は、政治的利害の対立する貴族たちが率いる政治体制のもと、トウモロコシの天水農業に強く依存し、灌漑はごく一部に限られ、穀物を長期に保存できる貯蔵施設もなかった。研究チームは「長期にわたる気候変動による苦難がいら立った緊張をもたらし、やがてマヤパンでの政治暴力に至ったのではないか」と主張している。
「地域レベルで気候変動と社会の安定との複雑な関係を明らかにした」
研究チームは、気候変動に対するレジリエンス(回復力)や社会変容についても考察した。マヤパンが崩壊した後、住民たちはユカタン半島の他のエリアに移住し、人口と社会を再編成して、スペイン人が入植する16世紀初めまで、マヤの政治経済構造を維持したという。
研究論文の筆頭著者であるケネット教授は、一連の研究成果について「地域レベルで気候変動と社会の安定との複雑な関係を明らかにした」と評価し、「とりわけ干ばつが食料不足につながる地域で、内政上の緊張や派閥争いの悪化にもたらす気候変動の影響を評価する際は、自然システムと社会システムの複雑な関係を理解することが重要だ」と説いている。