ウクライナ戦争に「酷似した戦争」が20世紀にあった...その「結末」から分かること
The Korean War Redux
朝鮮戦争は冷戦下の世界秩序を大きく変えて米ソ二極化を加速させた(1950年9月、ソウルで戦う国連軍兵士) CORBIS/GETTY IMAGES
<冷戦構造を決定づけた1950年の朝鮮戦争と、現在のウクライナには多くの共通点が。だが米中ロの新冷戦は、米ソ冷戦より複雑で不安定だ>
ロシアがウクライナで始めた戦争と見事に重なり合う戦争を歴史の中に見いだせるとすれば、それは朝鮮戦争だ。どちらも世界全体に影響を及ぼす地域戦争であり、新たな世界秩序への移行を高らかに告げ、加速し、固定化する戦争でもある。こうした類似点、そして数少ない重要な相違点から将来に向けた貴重な教訓を引き出せる。
1950年に朝鮮戦争が始まったとき、世界はアメリカとソビエト連邦という2つの超大国がにらみ合う二極化された勢力構造に移行し始めたばかりだった。初期の冷戦構造は70、80年代の安定した構造とは異なり、一触即発の危うさをはらんでいた。
そして今、ロシア軍がウクライナで破壊の限りを尽くすなか、世界は再び二極化された構造に移行しつつある。ただしアメリカが対峙する相手はロシアではなく、ほぼ対等なライバルとなった中国だ。
朝鮮戦争は長期にわたって米ソ対立に影を落とした。冷戦のルールの多くはこの戦争で生まれたと言っても過言ではない。ウクライナ戦争で西側は中国ではなく、ロシアの暴挙を阻止しようとしているのだが、そうであっても、この戦争が米中の新冷戦時代の到来を強く世界に印象付けたことは間違いない。
50年6月、北朝鮮軍は38度線を越えて韓国に侵攻。3年に及んだ激戦は、その後今に至るまで南北に分断されることになった朝鮮半島の運命を決定づけたばかりか、世界秩序にも長期的な影響を与えた。
もっとも、変化の兆しはかなり前から表れていた。当時既に下野していたウィンストン・チャーチル元英首相が46年、欧州大陸に「鉄のカーテン」が下りたと警告したことはあまりにも有名だ。49年に中国本土に社会主義国家を打ち立てた毛沢東が真っ先にソ連を訪問し、ヨシフ・スターリンと友好条約を結んだことも歴史に刻まれている。
ウクライナ戦争が地政学的な再編を加速
とはいえ、米ソ二極化に向かう流れを決定づけたのは朝鮮戦争だった。この戦争はNATOが結束を固めるきっかけにもなった。
ウクライナ戦争もまた、同様の地政学的な再編を加速させている。ここ数年、中国の経済・軍事力の拡大に伴い、米中間の競争が新冷戦に発展する可能性やアメリカが中国封じ込めに走る可能性が声高に論じられていた。二極化構造への回帰が始まっていることはあらゆる兆候から明らかだった。
それでもなお、かつて朝鮮戦争が冷戦構造を決定づけたように、ウクライナ戦争はアメリカと中ロ枢軸の2陣営への分断を加速し、固定化しつつある。その背景には4つの主要な要因が働いている。