戦争は「誇張」されている?「夏を満喫」するウクライナ市民の写真が意味するもの
Do Photos of Busy Ukraine Beaches Prove There's 'No Warzone'?
キーウは現在の戦闘休止状態によって、やや落ち着きを取り戻したとも言われている。しかし、政府当局は市民に対し、水辺で爆発物の調査が続いているため、ビーチに近づかないよう警告している。
また、ドニエプル川などで撮影された写真は絵のように美しいかもしれないが、キーウでは今も時おり空爆があり、ボランティアによる瓦礫の撤去が続いている。空襲警報はほぼ毎日、全国各地で発令されている。しかし、戦争の脅威がより明白な地域でも、ビーチや公共空間を利用する人々の姿が写真に収められている。
本誌がソーシャルメディアアプリのテレグラムで見つけた未検証の投稿では、(キーウよりはるかに戦場に近い)オデッサで、ミサイル防衛システムが背後で発射されるなか、市民が公共空間で詩を朗読したり、海からの侵入を防ぐバリアが設置されたビーチで、日光浴を楽しんだりしている。
絶望的な状況でも「日常」を求める心理
オデーサの海岸を利用していた複数の市民が、地雷で命を落としたという投稿もある。
言うまでもないことだが、国の一部の人々の行動を捉えた写真が、必ずしもほかのすべての人々の行動や考え方を反映しているとは限らない。2020年には、新型コロナウイルス感染症によってソーシャルディスタンスの確保が求められ、効果的なワクチンもなく、感染者数が増加していたにもかかわらず、欧米のビーチや公園には大勢の人が訪れていた。
ユーチューバーのベルフィールドは、ほかの投稿でも誤解を招くような主張を行っている。彼らのツイートには、戦争に関する十分な裏付けがある証拠が欠けているように見える。なにより、人は絶望的な状況であっても、必死に「日常」を求めようとすることに対する繊細な理解も欠けているように見える。
ツイッターで共有されたこれらの写真は、ウクライナにおける戦争の存在や、その激しさの反証にはならない。キーウのビーチを満喫する人々の写真が存在するのは確かだが、これは決してメディアが戦争を誇張している証拠ではない。さらに、戦争の脅威がより明白である地域の映像は、リスクが高まっていても同じ生活を続け、残酷な戦争のなかで平常心を保とうとしている人々の姿を示しているように見える。
(翻訳:ガリレオ)