「命が狙われてもやめない」──息子の「遺志」を継ぎ、人権活動家になった
Empowerment in Syria
「私の声を封じたい人がいるのなら、私は正しいことをしている」と語るラハールの戦いは続く THE SYRIA CAMPAIGN
<15歳で結婚し、4人の子供の母親となったハリア・ラハール。ジャーナリストだった息子を殺され、命を狙われてもやり続けること>
私は15歳のときに10歳上の男性と見合い結婚をした。私が育ったシリア北部イドリブ県のカフランベルには、一部でそうした慣習が残っていた。
結婚する1年前の1988年にラッカ市の陸上競技大会で優勝し、全国大会への出場を夢見ていたが、それは「一線を越える」野心だった。結婚したため、学校を卒業することもかなわなかった。90年に16歳で長男のハレドを産み、5年後に娘、2000年と01年に2人の息子を授かった。
シリアで民主化運動が高まる前、私は美容院を経営していた。自分のために何かしなければならない、経済的に自立しなければならないと考えたのだ。美容院は女性が集まっておしゃべりをし、日常生活について意見を交わす場所になった。
11年に内戦が始まると、私たちは政治や女性の将来について議論するようになった。その中から、女性が成功するために必要な教育、知識、技術を提供する場所をつくるというアイデアが生まれた。
13年初頭にボランティアで活動を始め、同年6月に「女性のエンパワーメントのためのマザヤ・センター」の最初の施設をオープンさせた。
職業訓練や教育プログラム、心理的なサポートを提供し、看護や応急処置の基礎的なスキル、理美容、縫製、織物、経済、写真、法律、ジャーナリズムなどのコースを開いた。
私は自分の子供が夢を実現できるように、私のように人生の機会を否定されないようにしてやりたいと思った。
シリア北部で女性の権利のために活動する私の日常は、危険と試練にあふれている。武装集団の暴力的な攻撃だけでなく、地元の人々からの殺害予告もあり、オンラインで嫌がらせや暴言を浴びている。14年11月にはセンターの本部が放火され全焼した。