【独占インタビュー】名コーチ、ブライアン・オーサーが語る羽生五輪3連覇の可能性
多くの一流選手を育てたオーサー(右)にとっても羽生は別格の存在(2017年10月) Alevander Fedorov-REUTERS
<羽生結弦が4回転アクセルにかける思い、彼の強靭なメンタルの秘訣について10年来の師が語った>
ついに開幕した北京冬季オリンピックで五輪3連覇を目指す男子フィギュアスケートの羽生結弦選手。世界の頂点に立ち続けてきた彼を2012年から指導してきたのが、カナダ人コーチのブライアン・オーサーだ。
多くの一流選手を育てたオーサーにとっても、羽生は別格の存在。2人の出会いから北京での金メダルの可能性まで、インターナショナル・フィギュアスケーティング誌発行人のスーザン・ラッセルが話を聞いた(インタビューは1月26日、カナダ・トロントで電話で行われた)。
──指導を始めた当初から羽生に特別なものを感じていた?
実はそれ以前から、彼には特別な何かがあると気付いていた。世界選手権初出場となったフランス・ニース大会(12年)で、彼は3位に入った。見事なフリープログラム(「ロミオ+ジュリエット」)で、まさに「羽生らしさ」が全開だった。若くて、才能豊かで、生き生きとしていて──どれも教えられるものではない。
──どういう経緯でコーチを務めることになったのか?
(12年4月に)世界フィギュアスケート国別対抗戦のために日本を訪れた際、会合が設定されていた。私には事情がさっぱり分からなかったが、空港で出迎えられて都内のレストランに連れていかれた。部屋に入るとユヅルがいたんだ。すごく驚いた。彼は素晴らしいシーズンを終えたばかりだったから。通訳を介して「なぜこんなことを?」と尋ねたら、彼は私のチームとハビエル・フェルナンデスと一緒に練習がしたいと言った。私は「OK、なるほどね」と。
トロント(カナダ)に来た当初の彼は粗削りだが、生まれつきの才能があった。それをうまく操れるようにする必要があった。私たちは彼のエネルギーを奪うのではなく、手なずけてコントロールしたかった。彼は自由な精神の持ち主だが、ひとたびその才能を生かせるようにしてあげたら、すぐに全てがうまく回り始めた。
──羽生がカナダに来た当初のジャンプのレパートリーは? その後はどう進化した?
初めはトリプルアクセルと4回転トウループができたが、その後なんでも飛べるようになった。彼にとって本当に大切なジャンプになった4回転サルコー、4回転ループ、4回転ルッツ。フリー後半での4回転トウ。フリー後半の4回転トウが2回になり、さらに(15年には)ショートプログラムでも4回転を2回飛べるようになった。あれは画期的だった。今では、トップスケーターたちがショートプログラムで4回転を2回飛ぶのは当たり前になった。
──羽生は多彩な4回転を取り入れたプログラムで男子フィギュアスケートを新たな次元に引き上げた。
その通りだ。彼は大きなリスクを取ることを恐れない。いつも期待通りにいくわけではないが、常にリンクに出て挑戦せずにはいられなかった。ユヅはいつだって即興の天才だった。それに数学の魔術師だ。プログラム冒頭でうまくいかないことがあると、その後のどこにコンビネーションジャンプを加えればいいか計算できる。彼は足で考えるんだ。
私はリンクを眺めながら「このプログラムは何だ? どうなっているんだ?」と思ったこともある。でも、得点が表示されると理解できる。
──約2年前に羽生が日本に戻ってからも連絡を取ってきた?
ああ、(昨年12月の)全日本選手権の前には、かなり頻繁に映像を受け取っていた。それを評価して、私の考えを送り返した。練習中の映像で、他の選手に邪魔をされて少し不安そうな様子が見えたことがあり、そのときは呼吸について彼と話をした。技術面でのフィードバックだけでなく、心構えや知恵のようなアドバイスもした。
──羽生は平昌五輪前の17年11月、けがでグランプリシリーズNHK杯を欠場した。昨年11月に同NHK杯とロシア大会を欠場したとき、4年前の再現だと感じた?
まさに。100%そう思った。気の毒だったが、彼なら乗り越えられることも分かっていた。全日本選手権まで時間がなかったし、日本には素晴らしいスケーターが何人かいるなかで、ユヅルは自分の席を勝ち取らなければならなかった。