ミャンマー軍、インド国境近くの住民10人を虐殺 13歳少年や記者らを後手に縛り......
しかし現地マトゥピ郡区のPDFのリーダーは地元メディアに対して、軍政報道官の説明を否定。10人の犠牲者の誰一人として銃弾による傷がなく、9人が後ろ手に縛られたうえで喉を切られて死亡しており、軍による残虐な虐殺であり重大な人権侵害でもある、と証言している。
国境を越えたインド側に拠点を置くチン州の人権団体も「少年や記者の殺害や拘束した住民を人間の盾として戦闘に駆り出すなど軍による戦争犯罪は後を絶たない」と軍を非難している。
軍による攻勢から逃れるためマトゥピ郡区の住民の多くが国境を越えてインド側に脱出しており、その数は約4000人に達しているという。
軍政の一方的停戦も実効を伴わず
現地マトゥピ郡区では10日まで軍と武装市民組織PDFやチンランド防衛隊(CDF)との戦闘が続き、現在複数の村はCDFの支配下にあり、軍の反転攻勢を警戒しているという。そんな中マトゥピ郡区の軍部隊を増援するため約90台の軍のトラックが同じチン州のミンタッからマトゥピに向かっているとの情報もあり、現地の緊張が高まっているという。
これに先立つ1月7、8日、軍政は首都ヤンゴンを訪問したカンボジアのフン・セン首相とミン・アウン・フライン国軍司令官とのトップ会談を受けて、少数民族武装勢力との一方的な停戦を宣言していた。
これはミャンマー、カンボジアが共にメンバーである東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国であるカンボジア首相の訪問に対して「一定の敬意を示したうえでの和平追求」の姿勢を示したものといえる。
しかし、チン州やサガイン地方域などでは停戦宣言後も少数民族武装勢力や武装市民と軍部隊との戦闘は続いており、宣言があくまで国際社会に向けた軍政の「ポーズ」に過ぎないことが明らかになっている。
軍は拘束した住民を人間の盾として利用したり、ヘリコプターから空爆をしたりなど各地で戦闘を激化。2月1日のクーデター1周年に向けて、治安安定をアピールするために武装市民や少数民族の武装勢力への攻撃圧力を格段に強めているとみられ、戦闘員のみならず非武装の一般市民の犠牲者も増え続けている。
タイ・バンコクに拠点を置くミャンマーの人権団体「政治犯支援協会(AAPP)」によるとクーデター発生以降、1月10日現在までに治安当局によって殺害された市民は1461人に上り、逮捕者は8530人となった。
2月にはクーデターから1年となるミャンマー情勢だが、さらに混迷の度を増している。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など