人民日報の歴史決議解説シリーズの一つに習近平の名がないことを以て「路線闘争」とする愚かさ
さらに途中では「来年の経済政策も左右する路線闘争」という小見出しを付けて以下のように書いている。
――見逃せないのは、政治的な路線闘争が、現実の経済政策づくりに密接にリンクしている構造だ。曲青山論文が載った12月9日は習、首相の李克強(リー・クォーチャン)も出席して来年の経済政策を議論した中央経済工作会議の真っ最中だった。中国を成長に導いた改革開放こそが取るべき道だと圧力をかけているのである(この場所の引用はここまで)。
中央経済工作会議に関しては12月24日のコラム<中央経済工作会議「習近平重要講話」の「三重圧力」に関する誤解と真相>に書いたが、中央経済工作会議を、このような形で利用するという所まで来ると、当該コラムで批判した某氏をさらに超えて、「正気なのか?」と言いたいほどの驚きを禁じ得ない。
中沢氏は最後に、以下のように結んでいる。
――権力集中を志向する「毛・習」と、改革開放を旗印にする「鄧・江・胡」の路線闘争。野心的な「鄧小平超え」に踏み込んだ第3の歴史決議は、闘いに再び火をつけてしまった。そこには減速著しい現下の中国経済にどう対処するかという主導権争いも絡む。今後5年余りを左右する22年秋の共産党大会に向けた闘いは、簡単には終わらない(引用ここまで)。
何ということだ・・・。
中沢氏ともあろう人が、これは習近平の「歴史決議」を解説するシリーズの第2回目のみの文章であることを知らないのだろうか。鄧小平を讃えた言葉は、習近平による「歴史決議」の中で書かれた言葉だ。人民日報は、それを解説しただけである。
習近平は自分が決して改革開放を否定していないという証拠に、「歴史決議」の中で鄧小平を肯定して見せた。
発端は「大紀元」の記事か?
実は12月15日に「大紀元」が<人民日報が改革開放巡り記事発表 元指導者らを称賛 習氏に言及せず>という見出しで、上の二つの記事とほぼ同じ内容の報道を先んじてしている。中沢氏が例として挙げている楼継偉氏の件に関しても構成が全く同じだ。
時系列的に言えば、まずは大紀元が書いて、それに基づいて中沢氏が膨らませて書き、次に読売新聞が、やはり大紀元(および日経?)に基づいて書いたということになろうか。
大紀元の記事を発見した時には「あーあ・・・」とは思ったが、「まあ、大紀元だ。これくらいの、敢えて勘違いしたように事実を歪める煽り記事くらいは書くだろう」と思ってスルーしていた。