メキシコはこうして「犯罪と暴力」に沈んだ...麻薬戦争、真実の100年史
The Dope on Drug Trade
公権力による異常な暴力
こうした神話には「役割がある」と、スミスは指摘する。「麻薬密売人を悪者にして、麻薬戦争は善と悪の戦いだという物語を強固なものにする。公権力による暴力を正当化するのだ。麻薬取締官が銃を持つのは、重武装の密売人と戦わなければならないから。撃つのは撃たれたときだけ。拷問で農民の爪を剝がすのは、さらなる死を防ぐためだが、誰の死を防ぐのかは都合よく曖昧にされている」
こうした対立構図のおかげで、メキシコの法執行機関は国民に対する異常な暴力行為を続けている。それは、かつてのアメリカ主導の鎮圧作戦に重なる。
麻薬戦争と人種差別の複雑な関係も、スミスは見逃さない。19世紀後半に先住民のマリフアナ使用を犯罪化したことや、中国人に対する根深い暴力など、当局が危険と見なす薬物の取り締まりには人種問題が絡んでいる。人種差別と階級差別は、麻薬の生産と使用をめぐる言葉遣いや法律、道徳の変遷を浮き彫りにする。
スミスはメキシコで麻薬取引が急速に拡大したのは、儲かるからというだけでなく、州当局による保護と非合法化も理由だとみる。ただし「1970年代までは、密売人同士の争いを暴力で解決することはほとんどなかった......州知事も警察も、自分たちと密売人との関係が露呈するような争い事は避けたかった」。
しかし麻薬産業が拡大するにつれて、州が積極的に暴力を誘発するようになった。「州の当局者が代わると、それまでの上納金の仕組みを覆し、自分たちにカネが流れるようにつくり直した」
一方で、農作物や農家、麻薬使用者を犯罪者と見なすことによって、「麻薬戦争そのもの」が暴力になった。「(米大統領リチャード・)ニクソンが(70年代に)行った麻薬戦争は、取り締まりを一変させた......アメリカの麻薬捜査官、メキシコの警察官、メキシコの兵士が侵略軍のごとく、麻薬の生産と取引が行われている地域に襲い掛かった」
『ザ・ドープ』は、1989年生まれのクルスの物語から始まる。極貧の町で育ったクルスは、メキシコ中西部のミチョアカン州で家業の麻薬ビジネスの見張り役を務めていた。マリフアナ、コカイン、メタンフェタミン、ヘロインと商品が変わり、上納金の行き先は地元の警察から武装ギャングへと変わった。