韓国で「日帝残滓の清算」が唱えられるなか、伊藤博文直筆の礎石が保存
文化財庁と合同で調査を行なった建築事務所は、干支は朝鮮時代後期に補修した年に刻まれた字で、昭和年号は昌徳宮と連結する塀を崩して、改築した際に刻まれたと推定した。
21年10月5日、国会文化体育観光委員会の鄭清来(チョン·チョンレ)議員が、「天皇の年号にちなんで"昭和八年三月改築"と刻まれた石が宗廟の塀にそのまま残っている」とし、「日本人観光客が写真を撮るなど大騒ぎになっているが、どんな意味なのか表示されていない」と指摘、また「日本によって毀損されたり、活用されたりした文化財には歴史的事実と反省が込められた案内板が必要だ」と述べた。保存を決めた文化財庁は案内板を設置する方針だ。
統治時代の日本領事館だった木浦近代歴史館1館も同月、保存して案内板を設置することが決まった。
旧三菱社宅を保存すべきか
一方、保存か撤去かで揺れている建物もある。その一つが仁川市富平区にある旧三菱社宅だ。1938年、釜山で鉱山機械を作っていた弘中商工が工場と労働者住宅を建設したが、経営危機に陥って三菱製鋼に売却した。戦後、米軍が工場を接収して、社宅は民間に払い下げられた。
当初は基地で働く人などが住んでいたが、16棟あった建物のうち老朽化で住む人がいなくなった土地を富平区が買い取って公共施設などを建ててきた。
2019年、富平区が1棟10戸からなる残りの6棟のうち4棟を撤去して公営駐車場を作ることを決めたが、文化財庁が待ったをかけた。文化財庁は、文化財として登録する意向を伝える公文書を富平区に送付した。
富平区が官民協議会を立ち上げると、公共駐車場の建築を望んでいた住民の中から保存を求める声が出始めた。文化財として登録されると税制優遇が受けられるからだ。
今年10月、翻訳出版された「帰属財産研究 韓国に埋もれた『日本資産』の真実」(李大根著、金光英実翻訳、黒田勝弘監訳、文藝春秋)によると、日本人が朝鮮半島から引き上げたとき、8万棟あまりの日本人が所有する家屋が残されたという。すでに多くが撤去されたが、いまだ商店や事務所として使われている建物も少なくない。旧三菱社宅が文化財として登録されると、税制優遇を期待して文化財登録を求める声が出てくる可能性がありそうだ。