ウイグル問題制裁対象で西側の本気度が試されるキーパーソン:その人は次期チャイナ・セブン候補者
陳全国とはどういう人か
陳全国は1955年、河南省駐馬店市平與県の貧困な農家に生まれた。そのためもあってか、文化大革命(文革)時代の唯一の安全地帯で食い扶持も得られる中国人民解放軍に、1973年、18歳で入隊し、1975年になって中国共産党員になっている。文革が終わると1977年(河南省の自動車部品工場工員)から2011年(河南省副書記・省長)まで、ひたすら河南省で仕事をしてきた。
2011年、胡錦涛政権時代にチベット(西蔵)自治区の書記に抜擢され、以来、チベット族を完膚なきまでに弾圧して、今ではチベット族の抵抗が見られなくなってしまったほどだ。
河南省の平與県はエイズで知られる街だ。
胡錦涛政権二期目に当たる2011年には、中共中央政治局常務委員(チャイナ・ナイン)の中に李克強がいた。胡錦涛直系の愛弟子で、当時は国務院副総理だった。
李克強は1998年(河南省副書記・省長代理)から2004年(河南省書記・河南省人民代表会議常務委員会主任)まで河南省で仕事をしていた。
河南省でエイズ問題が起きたのは1990年代初期で、まだ江沢民の腹心・李長春がトップにいた時期と一致する。貧富の格差が激しくなり、貧乏で生きていけなくなった人々が売血で生活費を稼ぎ、その結果エイズが流行り始めた。李長春はエイズを隠蔽し、エイズの巣窟となった河南省を逃げ出すために李克強の「出世」を提案して禍の河南省副書記に李克強を「栄転」させたわけだ。
一方、陳全国は1995年から97年まで武漢汽車(自動車)工業大学交渉管理学院経済学専攻で修士学位を取得し(学部は1978年から81年まで鄭州大学で経済学を学んだ)、1998年からは河南省の副省長を務めている。
つまり李克強が河南省に副書記として就任した時に、陳全国は少しだけランクが下になる副省長になっていたわけだ。李克強は省長代理。したがって陳全国は李克強の最も近い直属の部下として働いていたことになる。
エイズ問題を李長春から「譲り渡された」李克強としては、この難問に取り組むために、まさにエイズ村として名を馳せた平與県生まれの陳全国の助けを得ることになったわけだ。
かくして2009年に陳全国は河北省の副書記に上り詰め、2011年の胡錦涛政権時代に李克強の推薦もあり、チベット自治区の書記に昇進した。
その頃はチベットにおける抗議運動はまだ盛んで、少なからぬチベット人が天安門広場前で焼身自殺したことは有名だ。しかし2016年ころになると、陳全国による弾圧が功を奏し、ほとんどなくなってしまった。
そこで習近平は2016年に陳全国を新疆ウイグル自治区の書記に就任させたのである。