国家安全法の水面下で聞いた「諦めない」香港人たちの本音
They Never Give Up
陸橋にあった「光復香港 時代革命」の落書きが「中国 香港」に書き替えられていた YOSHIKO FURUMAI
<国家安全法の施行から半年以上。現地に飛ぶと、街からシュプレヒコールが消えた一方で、英国移民の話題が持ち切りになっていた。しかし、市民たちの関心はもっと深いところでまだくすぶっている>
昨年末に新型コロナウイルス感染症対策が引き締められた香港。1月初めに到着した私は、月末にやっと3週間の隔離を終えて街に出た。
だが、レストランは6時以降テイクアウトかデリバリーのみに制限されており、友人たちと卓を囲むこともできなくなっていた。
外ではゆっくりできないからと、写真家のHと妻のSが自宅での夕食に呼んでくれた。彼らが住んでいるのは、以前の啓徳国際空港の跡地を近年造成してできた大規模な団地型のマンションだ。
1年前の昨年1月に初めて彼らの家を訪れたとき、夜10時頃に外が何やら騒がしくなった。ベランダに出ると、マンションのどこからか「香港人~」という声が響き、「加油!」(頑張れ!)と別の声が呼応した。
続いてまた誰かが「五大訴求~」(5つの要求)と叫び、今度は「缺一不可!」(一つも欠けてはならない)とこだまがあちこちから返ってくる。さらに続いた「光復香港」(香港を取り戻せ)には「時代革命」(時代の革命だ)が......そんな掛け合いが毎日30分以上繰り返されていると教えてくれた。
しかし、昨年6月末の香港国家安全維持法の施行後、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は「光復香港 時代革命」も「五大訴求 缺一不可」も「香港人加油」も、全てを「独立を主張する違法行為」に指定した。
市民は「『香港人頑張れ』も駄目なの?」といぶかったが、政府の決定に挑む者はいなくなった。
今回も私は時計を見ながら外の様子をうかがったが、HとSは「もう誰も叫ばなくなったよ」と笑っていた。
国家安全法の施行から約半年。街では1年前にべたべたと貼ってあったデモのスローガンのステッカーを目にしなくなった。
1月末の街の話題は、イギリスが発行する海外在住英国民(BNO)パスポート所有者向けの新たな移民ビザ発給で、朝のニュースは日々その動向を伝えていた。
市民はもう諦めてしまったのか。抵抗を忘れたのか。民主への希求、自分たちの権利を手放して逃げ始めたのか。
抵抗を忘れちゃいけない
夕食中に、テレビから「中国政府はBNOパスポートを旅券として認めない」とニュースが流れるとSが言った。「無駄なことするわね」。Hも「いちいちそんなことするから、みんな逃げるんじゃないか」とばかにするような口調で言った。
「中国が承認しようがしまいが、中国にBNOパスポートを持って入る香港人はいないんだし」と、一緒に招かれていた共通の友人のGがニヤリと笑った。
ふと、HとSに尋ねてみた。「あんたたち、BNOパスポート持ってんの?」。2人はおかずを頰張りながら同時に首を振った。「うんにゃ」