決壊のほかにある、中国・三峡ダムの知られざる危険性
THE TRUTH OF THE THREE GORGES DAM
2020年現在、バックウォーターの堆砂は16億トンに上るという推量もあり、2030年には40億トンまで増えて、どうにも対処できなくなる。「そうなる前に三峡ダムを破壊すべきだ」と、一部の三峡ダム批判派が主張するゆえんでもある。
建設への意見書は発禁処分に
ところで、日本のダムは「異常洪水時」の緊急放流に際して、事前警報でサイレンを鳴らし、沿川の自治体に事前通告して、住民が避難する時間をつくることが鉄則だという。では、中国はどうだったか。
中国のSNS上には、「ダムが警報なしに放流した」「堤防をブルドーザーで破壊したが、住民に予告しなかった」「深夜に急に浸水し、着の身着のまま逃げ出した」などという不満が相次いだ。
被災者は避難する十分な時間も与えられずに、家も田畑も財産も失って逃げ出したことが推察できる。これは行政の怠慢で、政治の問題ではないのか。
三峡ダムは1912年、孫文が国家建設のために「鉱山開発」「鉄道網の普及」「三峡ダムによる発電」を構想したことに始まるが、日中戦争で計画倒れに終わった。
1949年に中華人民共和国が誕生した後も、長引く政治運動で手を付けられず、文化大革命が終息した後の80年代にようやく現実味を帯びてきた。だが、発展途上の中国ではまだ「時期尚早」との声が高かった。
1989年1月、光明日報の記者の戴晴(タイ・チン)が編纂した『長江 長江』が出版された。三峡ダム建設計画について水利専門家や有識者、政治家に取材して編纂した意見書だ。「資金不足」「技術力不足」「生態系の破壊」「大量の移住者が出る」などの理由で、慎重論がほとんどだった。
その中で、戦前、米イリノイ大学で工学博士号を取得した著名な水利学者で、清華大学の黄万里(ホアン・ワンリー)教授は、堆砂の深刻さを問題視した。
「長江の三峡地区は堆積性河段(土砂が沈殿・堆積する河床部分)で、このような場所にダムを造ってはいけない。宜昌市の砂礫の年間流動量を推算すると、およそ1億トンに上る。上流域にも土砂が堆積し、ダム完成後10年以内に重慶港が土砂で塞がれる事態が発生する恐れがある」
同書をきっかけに、三峡ダムプロジェクト論争が熱を帯びた。李鵬(リー・ポン)首相を中心とする中国政府が強引に計画を推し進めるなか、同年6月4日、天安門事件が起きた。政府は民主化運動を武力で弾圧し、戴晴は「騒乱と暴乱の世論作りのために準備した」との罪で逮捕・拘禁され、今に至るまで中国では意思発表の場はない。
『長江 長江』も出版を禁止され、焼却処分になった。同書で取材を受けた有識者らも共産党から除名、降格、失業、亡命を余儀なくされた。