アメリカは長崎に2つ目の原爆を落とす必要があったのか?
Did the U.S. Need to Drop a Second Atomic Bomb on Japan?
日本政府、日本軍の指導部は、ソ連による対日参戦を受けて8月9日の終日、話し合いを行った。そして昭和天皇が翌10日に降伏の「聖断」を下し、15日に国民に向けて降伏を発表した。
長谷川は、長崎への原爆投下は天皇が降伏を決断した一番の理由ではなかったと指摘する。8月10日の時点では、まだ長崎の被害の全容が分かっていなかったからだ。
長崎原爆の爆発の被害は浦上地区をはさむ丘陵地でかなり食い止められ、被害が少ない市街地も多かった。被害の一報を伝えた地元の防衛本部などもそうした地域にあった。「長崎の被害規模は、8月9日のうちには東京にきちんと伝わっていなかった」と長谷川は言う。
2度の原爆投下については、もう1つの仮説がある。原爆投下は必ずしも(日本を打ち負かすために)必要ではなかったが、アメリカの指導部がソ連に対して、自国の大量破壊兵器の威力を示したかったから投下したという説だ。
「必要だと信じたかった」
第2次世界大戦の終盤には既に冷戦が頭をもたげていた。5月にドイツが降伏した時には、西側諸国とソ連は既に、後の「鉄のカーテン」越しのにらみ合いに入っていた。当時はアメリカが核兵器を保有する唯一の国で、米指導部は自分たちの新たなライバルにそのことを知らしめたかった。
原爆には、戦争をできる限り早期に終結させることで、ソ連が日本に侵攻して新たな領土を手にするのを阻止するという利点もあった。ソ連は冷戦において、ヨーロッパとアジアの占領地を代理勢力として利用しており、ハリー・トルーマン米大統領(当時)の政権は、ソ連のさらなる領土獲得を最小限に食い止めたいと考えていた。
しかし長谷川によれば、原爆の歴史に関してアメリカと西側諸国の多くで最も有力なのは、2度の原爆投下は日本を降伏させるために必要だったとする説だ。この説が支持され、受け入れられたのには心理的な理由があると彼は指摘する。
「原爆の使用は、アメリカ人の良心を心底苦しめた。それが心理的な要因だ」と彼は言う。「彼らは、自分たちがした恐ろしいことを、必要なことだったと信じたかった」
長谷川はまた、第2次大戦について広く認識されている歴史があまりにアメリカ中心の考え方で、そのためにアメリカによる説明がほとんど異論もなく定着したとも指摘。多くのアメリカの学者は、ソ連にまつわる要素をある種の「枝葉の(重要ではない)問題」として扱い、日本の政策決定プロセスにほとんど注目することなく原爆の歴史をつづっている、と語った。
<関連記事:原爆投下75年、あの日アメリカが世界に核兵器をもたらした、と各国が非難>
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