ドラマ版『スノーピアサー』にスタート早々の黄信号
Snowpiercer Goes Off the Rails
先頭車両で殺人事件が発生、メラニー(手前右)は元刑事レイトン(同左)に捜査を依頼する Justina Mintz
<危機を生き延びても前途は多難ーー「安っぽさ」でタイムリーなテーマが台無しに>
軽率な富裕層のせいで大惨事に見舞われた地球。狭い空間に閉じ込められたひと握りの生存者。富裕層は優雅な生活を続けるため、平気で貧困層を犠牲にする......。
米ケーブルテレビ局TNTの新番組『スノーピアサー』は、今の時代にぴったりのドラマ。生存者を乗せた豪華列車「スノーピアサー」は、凍り付いた地球を永遠に周回し続ける。だがドラマのほうは、出発前から脱線している。
製作過程のごたごたも一因かもしれない。パイロット版の脚本・製作総指揮だったジョシュ・フリードマン(『ターミネーター サラ・コナークロニクルズ』)は意見の相違を理由に降板し、後任はグレーム・マンソン(『オーファン・ブラック 暴走遺伝子』)に。監督のスコット・デリクソンもマンソンの撮り直し要求を拒否して降板した。放送局も一時TNTからTBSに変更された(その後TNTに戻った)。
それ以上に大きいのが構造的な問題だ。今回のドラマはポン・ジュノが監督した2013年の同名映画と、その原作である1982年のフランスのグラフィックノベルに基づいている。地球が氷河期に突入し、生き残った人類が極寒に耐え得るように設計された豪華列車で暮らす設定と、先頭車両の富裕層と最後尾車両の貧困層の階級格差を軸にプロットが展開するのは、ドラマも映画も原作も同じだ。
だが、成功しているのは映画だけ。理由は単純、映画は最後尾車両の反乱者に焦点を当てた展開の速いストーリーになっているからだ。視聴者が列車について知り得るのは反乱者側からのみ。先頭車両に向かう途中の流血の戦いは考える時間をほとんど与えず、列車は資本主義の下での生活の恐ろしく単純な比喩としか思えない。スノーピアサーは社会ではなく戦場なのだ。一方、ドラマは時間が長い分、どうしてもあらが目につく。
乱闘シーンありきの設定
ダビード・ディグス(ミュージカル『ハミルトン』)は最後尾の車両で暮らす元刑事レイトン役。ジェニファー・コネリーは列車の謎めいた設計者を代弁する厳格な接客係長メラニーを熱演。何より彼女の部下を演じるアリソン・ライト(『ジ・アメリカンズ』)の怪演が光る。
だが、総じて脚本も演技もあまりに安っぽい。毎回、登場人物が自分の哲学と車内での立場を説明するナレーションは歯が浮くようだ。