全人代開幕日決定から何が見えるか?
決定的なのは、国務院を総動員した対コロナ戦略巨大機構「聯防聯控機構」は、習近平がまだ雲南にいた「1月20日」には立ち上げられていたということである。
つまり、李克強は習近平に「重要指示」を出させると同時に、国務院の全行政省庁に呼びかけて「緊急対コロナ戦略部隊」を作り上げたということなのである。
それからの「聯防聯控機構」の活躍ぶりには目を見張るものがある。
連日連夜、数十回にわたって会議を開き、孫春蘭も李克強もあの危険な武漢に現地入りし、コロナ収束までに数十項目の政令を発布し続けて、コロナの難関を乗り切った。
この間に最も重要視したのは習近平の指示ではなく、あくまでも「本気でコロナを殲滅する」という気概に燃えた免疫学の最高権威・鍾南山(学者で医師)の警鐘だった。
この経緯に関しては3月18日のコラム<中国はなぜコロナ大拡散から抜け出せたのか?>に詳述した。
習近平、形無しではないか!
しかし、コロナに勝たなければ一党支配体制は崩壊する。民主主義国家のように政権与党が下野すれば野党が新しい政権を作るというようなシステムにはなっていない。中国共産党が永遠の政権与党であり、この政権が崩壊すれば「中華人民共和国」という国家構造が崩壊する。
自分の政権で中国共産党一党支配体制を崩壊させるなど、習近平に選べるはずがない。
したがって、「李克強―鍾南山」が主導する中国全政府による「聯防聯控機構」の実務執行を、習近平は「指をくわえて」見ているしかなかったのだ。
せいぜい彼に出来たのは、武漢に感染の危険が無くなった3月10日に武漢入りして「勝利宣言」を行ったくらいのことである。だから中国の庶民の間では<中国はなぜコロナ大拡散から抜け出せたのか?>に書いたように「摘桃子(ズァイ・タオズ)(他人の業績を自分のものとして自慢する)」という言葉が流行っているわけである。
習近平は「後出しジャンケン」で「自分は1月7日から警告を発していた」などと強調しているが、それならなぜコロナの危険性を知りながら、のんびりとミャンマー訪問をしたり雲南の春節巡りをしていたのか(詳細は2月16日のコラム<習近平「1月7日に感染対策指示」は虚偽か>)。罪はさらに重い。
全人代開幕決定直前に習近平が召集した中共中央の会議
このままで全人代を開催したら習近平の沽券に関わる。
そこで習近平は4月27日に「中央全面深化改革委員会」を召集した。この委員会のトップ(主任)は習近平で、習近平政権になってから主体を国務院から中共中央に移管している。
この委員会会議を、栗戦書が全人代常務委員会を開催して今年の全人代開催を宣言することになっている4月29日の「2日前」に開催したというのが「ミソ」である。ここに注目しなければならない。