最新記事

医療

市場原理が人工呼吸器の絶望的不足を招いた

Economics of Ventilators

2020年5月2日(土)12時00分
シャメル・アズメ(マンチェスター大学グローバル開発研究所)

簡易的な人工呼吸器の試作品の説明をするセネガルの医師 Zohra Bensemra-REUTERS

<人工呼吸器の世界的な不足は利益優先で高度な機器開発ばかり進んだから>

世界各地で新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、人工呼吸器の需要が急増している。イギリスでは、国民保健サービス(NHS)によると少なくともさらに3万台が必要になる見込みだ。ニューヨーク州のアンドルー・クオモ知事は4月2日に、在庫はあと6日分だと訴えた。

言うまでもなく、貧困国ははるかに深刻な状況だ。もともと人工呼吸器の供給は極めて少なく、追加で購入する資金はほとんどない。中央アフリカ共和国は全国で3台。リベリアは1台しかないとみられる。バングラデシュは人口約1億6400万人に対し1800台以下だ。

緊急事態に備えていなかったと、政府を批判することは簡単だ。しかし現実には、これほど短期間の需要の急増に対応することは、どのような規模の経済でも極めて難しい。

一方で、目の前の人工呼吸器の不足は、現行の経済モデルの構造的欠陥を物語っている。問題は、資源をどこに配分するかということだけではない。そもそも技術開発をどのように思い描いて実行するか、その選択の際に公衆衛生をどの程度考慮しているか、ということだ。

今回の危機は私たちに、何を、どのように、誰のために生産するかという根本的な問題を突き付ける。

1920年代に呼吸補助装置が発明されて以来、この分野の技術は著しく進歩した。ただし、ケニアのNPO「公衆衛生発展センター」のべルナルド・オラヨ会長が指摘するように、貧困国が必要な数の人工呼吸器を確保できたとしても、操作できる人材が足りないだろう。

高価で複雑な技術を独占

人工呼吸器が世界の大多数の人の手に届かなくなったことは、技術革新の結果ではなく、経済的なインセンティブによるものだ。市場の需要が技術開発を主導してきたため、企業はより高価で複雑な装置を作り、知的財産の仕組みで自分たちの技術を守って、それなりのカネを払える客に売るようになった。

技術革新のプロセスは、ほかにもあり得たはずだ。より高度な人工呼吸器と並行して、よりシンプルで、手頃な価格で、使いやすいモデルを開発することもできただろう。

実際にそのような試みもあった。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行を経験した後、06年に米保健福祉省(HHS)内に 生物医学先端研究開発局(BARDA)が新たに設置された。その使命の1つは、迅速に輸送できて、備蓄しやすく、安価で、持ち運びできるシンプルな人工呼吸器を設計することだった。

その後、ある民間企業が米政府と数百万ドルの契約を結び、BARDAのコンセプトを基に開発を始めた。11年には試作品が披露された。

しかし12年に、この企業は大規模な業界再編の一環として、「従来の」人工呼吸器を製造する大手医療機器メーカーに買収された。試作品まで進んでいたプロジェクトは、間もなく打ち切られた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ビットコインが10万ドルに迫る、トランプ次期米政権

ビジネス

シタデル創業者グリフィン氏、少数株売却に前向き I

ワールド

米SEC委員長が来年1月に退任へ 功績評価の一方で

ワールド

北朝鮮の金総書記、核戦争を警告 米が緊張激化と非難
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 2
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱が抜け落ちたサービスの行く末は?
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 5
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    ウクライナ軍、ロシア領内の兵器庫攻撃に「ATACMSを…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    若者を追い込む少子化社会、日本・韓国で強まる閉塞感
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 7
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 10
    中国富裕層の日本移住が増える訳......日本の医療制…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中