武漢「都市封鎖」の内幕 中国はなぜ新型コロナウイルス対策の初動が遅れたのか
深まる疑念
こうして、人から人への感染を否定してきた地元政府の主張に疑問が生じた。そうなると、市内で思い切った封じ込め策を実施する必要が出てくる。
このときの視察は12月末以降で3度目の専門家の派遣だったが、その間、中央政府はウイルスが伝染性のものではないかという疑いを深めていた。1月18日の視察に参加した研究者と1月2日に武漢を訪れた科学者によれば、一方で地元政府は、感染封じ込めに手を焼いていることを隠蔽(いんぺい)しようとしていたという。残る1回の視察は1月8日に実施されている。
1月18日の視察で、チームはそれまで地元政府が公にしていなかった事実をいくつか発見した。
10数名の医療従事者の感染、濃厚接触者の追跡数の減少、そして1月16日以前には病院での検査が1件も行われていなかったことである。鍾氏を中心とする専門家たちは、これらの点を武漢への視察を終えた数日後に明らかにした。
1月19日には5、6人ほどの専門家で構成されるチームが北京に戻り、視察で得られた知見を、中国の健康保健政策を策定する国家衛生健康委員会(NHC)に報告した。
このとき報告を受けた2人の情報提供者によれば、専門家は、武漢を隔離し、病院の収容能力を急速に拡大する必要があると勧告したという。鍾氏自身がロックダウン(都市封鎖)を提案したと彼らは言う。この件に関して鍾氏とNHCにコメントを求めたが、回答は得られていない。
情報提供者の1人によれば、当初、武漢市当局は経済的な打撃を懸念してこの提案を受け入れようとしなかったが、中央政府に押し切られたという。
1月20日夕刻、中央政府は武漢市に特別対策本部を設立し、感染拡大抑制に向け陣頭指揮に当たらせることを決定した。
武漢市のロックダウンに向けて、事態は動き始めた。
武漢市のある湖北省で統計局副局長を務めるイェ・チン氏は、鍾氏からの調査結果の発表を知って初めて、この感染症の深刻さを実感したと語る。
武漢市政府の対応は遅きに失した、と彼は言う。「もし市政府が通達を出していたら、そしてすべての人々にマスクを着用し体温を測るように呼びかけていたら、死者の数はもっと少なくて済んだかもしれない」
「多くの血と涙が流された、痛みを伴う教訓だ」と同氏は言葉を添える。
その後ウイルス感染者の追跡を行った結果、感染が確認された人がロックダウン実施前に、武漢から中国全土の少なくとも25の省、直轄市、行政区へと移動していたことがわかった。
これについて武漢市政府とNHCにコメントを求めたが、回答は得られていない。