コービーはジョーダンに並ぶ「神」だった
A Tribute to the Black Mamba
ロサンゼルス・レイカーズ一筋だったコービーの訃報は、ロスを悲しみで包んだ(写真は現役時代のコービー、2009年) Jed Jacobson/Pool/REUTERS
<NBAの元スーパースター、コービー・ブライアントの訃報に接して、コービーを素直に愛せなかった筆者がロサンゼルスで思い知った、コービーがこれほどまでに愛された訳>
飛行機が到着し、機内モードを切ると、携帯電話には異例の数のメッセージがたまっていた。米国駐在のスポーツ記者という職業柄、考えられるのは突発的なニュースのやり取りだ。大物選手の移籍でもあったか? 1月26日、仮眠を終え、まだぼんやりとした頭に飛び込んできたのは想像を遥かに超える知らせだった。
「コービー・ブライアントがヘリコプターの墜落事故で死亡した」。メッセージに貼られたリンク先やツイッターには、速報記事や関係者の反応などがあふれていた。現実感が全く湧かない。
出張先からの乗り継ぎのために降りたアリゾナ州フェニックスの空港を歩いていても、地に足がつかない。わずか1時間ちょっとのフライトの間に世界がひっくり返ったようだった。
正直に言う。コービーは特別思い入れのある選手ではなかった。彼より2歳年下で、小学校時代をアメリカで過ごした私にとって「神」はマイケル・ジョーダンだった。
うまい選手、強い選手は他にもいたが、クラシック音楽でも似合いそうな優美さと、獲物を狙う肉食獣のような勝利への執念を兼ね備えた選手は唯一無二だった。コービーが現れるまでは。
1996年にロサンゼルス・レイカーズでデビューした新星は、ジョーダンと入れ替わるようにスター街道をのし上がった。97~98年シーズンにシカゴ・ブルズがNBA3連覇を達成すると、大黒柱のジョーダンは2度目の現役引退を宣言した。すると今度はレイカーズが99~00年から3連覇。原動力はコービーだった。
2人は同じ198センチで、得点能力も身のこなしも、試合終盤の勝負強さもそっくりだった。ジョーダン伝説の余韻に浸ることを拒む次世代スターの登場は、驚異であり脅威だった。