非暴力・非宗派のイラク反政府デモがもたらす希望と混乱
Between Hope and Fear
男たちに囲まれながら話を聞いていると、テントの外が突然、騒がしくなった。催涙弾が目に突き刺さったという男性が救急車で運ばれていくところだった。
本来、催涙弾は大きな危害を加えることなく集まった人たちを分散させるために使われる。しかし治安部隊は頭部を狙い、殺傷目的で使っている。また彼らは使用期限が過ぎ、威力が増した古い催涙弾を使用している。呼吸困難に陥れば死に至ることもある。
希望か、悲劇の繰り返しか
バグダッドのデモ現場も、それが持つ意味は複雑だ。
人々が暴力を使わず、宗派を問わず一定の秩序をつくり上げたことに希望も感じる。腐敗した政治家や宗教指導者が国を破綻させたのとは対照的だ。しかしイラク現政権と対峙するのは容易ではない。
スンニ派地域であるファルージャの人たちがこう話してくれた。
「政府が変わってほしいと私たちも思っている。でも2013年に自分たちは平和な抗議行動をしていたにもかかわらず、政府に武力で押さえ付けられて死者が出た。抗議運動は、多くの人が殺されるからやめたほうがいい」
今回の運動は宗派を超えてはいるが、シーア派が中心であることには変わりない。問題は政治だけでなく、男女観、宗教観、氏族関係の問題も根深い。
抗議者たちは外国人である筆者に「聞け」「見ろ」と自分の思いを語り、治安部隊が使用した薬莢を見せに来た。そして口々に国連の介入を求める発言をする。特定の外国政府の支援は要らないが、複数の国で現政権の暴力を止めてほしいということなのだ。
都合のよいときだけ他国に介入され翻弄されてきたイラクにとって、これは当然の要求である。もちろんその中にはイラク戦争開戦を支持し、その後の混乱に有効な打つ手を持たなかった日本も含まれる。
イラク戦争から15 年を経て芽生えたこの動きは希望か、新たな混乱の始まりか。人々の我慢は既に限界を超えた。イラクの現政権の暴力を食い止める力はイラク国内にはないと、イラク人は感じている。
<本誌2019年12月17日号掲載>
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