社会資本の高齢化──「陰鬱な科学」が迫る苦渋の決断
陰鬱な科学
社会資本を作れば子供や孫の世代も利用できるので資産になるが、一方でそれを維持・更新する費用が将来の世代の負担として生じることになる。社会資本を後世代にできるだけ多く残せば、それだけ将来世代が助かるというわけではない。人口減少が予想されている我が国では、利用者が大きく減少する施設の発生が予想される上、社会資本整備に割ける費用も大きく伸ばすことは難しくなるので、現在保有している社会資本を全て維持した上で、さらに新しい社会資本の整備を行うことは無理だ。新規に整備が必要なものが出てくれば、更新費用が捻出できない施設が生じ、維持すべきもの、維持を断念するものに区別することが必要になる。
維持・更新に十分な資金を割り当てずに、漫然と老朽化した設備を使い続けると、大きな事故に繋がったり、自然災害が発生した時に弱点となって被害を拡大させてしまったりして、多くの人命を危険にさらすことになる恐れも大きい。社会インフラの維持が困難となって、住み慣れた土地を離れることをお願いしなくてはならない人達が生まれてしまうのは申し訳ないことではあるが、その資金があれば多くの人が災害や事故から救われることに理解をお願いするしかない。
英国の思想家トーマス・カーライルは経済学を陰鬱な科学(dismal science)と呼んだ。経済学が我々に苦渋の決断を迫ることが多くて不愉快なものであるのは確かだが、眼を背けても我々は真実から逃れることはできない。
9月の台風15号では、千葉県内で大規模な停電が起こり、概ね解消するまでには長期間を要した。気候変動の影響もあって想定以上の強い風が吹いたことも大きな原因で、送電線の鉄塔や電柱の復旧工事では、単純に前と同じものを作るだけでは不十分と考えられる。社会インフラ全体をもっと災害に強いものにする必要があり、そのために単なる再建よりも費用は高いものになるだろう。
人口減少下での社会資本のあり方について、もっと議論が必要である。