緒方貞子がルワンダ難民を大量強制送還したのは誤りだった
UNHCRの任務は人道支援と誤解されることがあるが、そうではなく難民保護である。それは具体的に「難民を国家や非国家主体の脅威や強制移転から守ること」を意味する。最も重要な難民保護の礎石とは、難民が迫害の危険に直面する国(母国を含む)への強制送還や恣意的な逮捕から難民を守ること。これは「ノン・ルフールマン」の原則として知られ、送還禁止という意味だ。
だがUNHCRはその原則に反してルワンダ難民を母国に強制送還し、また彼らの命を守ることができなかったのである。
そのため、UNHCRを「目の敵」と呼んだルワンダ難民がいる。緒方さん自身、1997年にコンゴの難民キャンプを訪れた際に、ルワンダ難民から「UNHCRはルワンダ難民を裏切った」と非難され、「難民の怒りや噴リが渦巻いていた」と記している(自著p.281)。
誤解のないよう強調したいが、UNHCRは上記の「虐殺」の罪や人権侵害に加担したわけではなく、罪の責任はルワンダ政府とアメリカ政府にある(これに関して、またルワンダ難民キャンプの軍事化や難民の人質に関してさまざまな誤解があるため、詳細は近刊の拙著『Post-genocide Rwandan Refugees, Why They Refuse to Return 'Home': Myths and Realities』を参照していただきたい)。
国連は難民の敵を支持
それなのに、なぜ難民はUNHCRに対しても怒りを抱いていたのか。それは、UNHCRがルワンダ政府軍によるルワンダ難民への殺戮行為を把握していたにもかかわらず、UNHCRはルワンダ政府への非難は一切しなかったからだ。さらに重要なことに、当時反政府勢力のルワンダ愛国戦線(RPF)が1990年~1994年にかけて一般市民を殺戮し、1994年の虐殺にも関与し、虐殺後に政権を奪取したのだが、難民はそのRPFに恐怖心を抱いていたにもかかわらず、UNHCRは難民に対して、RPF政権のルワンダに帰還すべきという立場を変えなかった。この母国への帰還は、ルワンダ現政府が推し進めた政策でもあった。
言い換えると、難民からすると、UNHCRは難民ではなく、難民と敵対関係にあるルワンダ政府を保護・支持していたことになる。そして難民は1994年にはルワンダで、続いて1996~1997年にはコンゴにて、RPFによる「ダブルの虐殺」に直面した。だからこそルワンダへの帰還を断固として拒否してきた。
この帰還に関して、緒方さんの自著の第3章の「アフリカ大湖地域における危機」に「難民帰還を早く進めることが解決策である」といった文言が繰り返されていることがわかる。母国への帰還はUNHCRの政策であり、冷戦後の政治に難民は制約されないという理由から、1990年代は帰還の10年になると発表した。緒方高等弁務官が就任した1991年、UNHCRの目標は「自主的帰還であり......、祖国に帰還する権利が与えられ、認められなければならない」と公言した。難民が苦しんでいる悲惨な状況を改善する代わりに、難民に故郷に帰るように推奨したことになる。