緒方貞子がルワンダ難民を大量強制送還したのは誤りだった
さらに緒方さんは1997年4月、UNHCRは「最悪事態からましな(the least worse)」選択肢を追求することになったと述べた。言い換えると、「帰還」には「戦争状態にある国に強制帰還される」ことも含まれるようになったのである。
故郷への帰還は一見肯定的で当然のことと考える傾向があるが、戦争状態でなくても基本的人権が侵害されている国や地域にどうやって難民を帰還させることができるのだろうか。しかしUNHCRは実際に帰還を進めてきたのである。難民の声を無視して。また「救済作戦」の名の下、コンゴ人住民に、ルワンダ難民の居場所を報告すれば難民一人につき10ドルの賞金を手渡すと伝えて。
ルワンダ元難民のマリー・ビアトリス・ウムテシさんは、下記のようにUNHCRを鋭く批判している。
「UNHCRの目的は唯一、ルワンダ難民を帰還させることだった。難民が喜んで帰還しようと、あるいは強制帰還されようと関係ない。UNHCRの成功基準は単純に帰還数で決まり、帰還後、母国で歓迎されようと、あるいは難民に帰還する意思がなかろうとそれは考慮されないのである。」
(Marie Béatrice Umutesi, Surviving the Slaughter: The Ordeal of a Rwandan Refugee in Zaire, Wisconsin: The University of Wisconsin Press, 2004, 209.)
帰還ではなく保護を
結局、1996~1997年に帰還を強いられたルワンダ難民の中には、上記の通り帰還後に殺戮され、行方不明になった人が多く、さらにそれ以降もルワンダからの再難民化が続いている。1990年代後半、コンゴが紛争状態であっても、ルワンダに強制的に帰還させるより、コンゴで滞在させた方が生存率は高かったのではないか。この数年、コンゴで生き延びたルワンダ難民に聞き取り調査をしながらそう思うことがある。
そもそも難民帰還の政策は当事者の難民の意思に関係なく、UNHCRの拠出国らのニーズによってつくられ、UNHCRは拠出国らの政府という傘の下で働いているのが現状である。そのため、UNHCRは強制帰還に加担する以外に選択肢がなかったという意見もあるが、緒方さんは難民保護の任務を持つ機関の長として、帰還ではなく保護の重要性を強く訴えるべきだったのではないか。緒方さんの自著にはルワンダ難民の意思が一切触られていないのは、ルワンダ政府とその強力な同盟国で最大拠出国のアメリカ政府に忖度していたからなのだろうか。
ルワンダ難民危機が起きた1990年代に、地球の裏でもう一つの危機があった。バングラデッシュからビルマ(現ミャンマー)のロヒンギャ難民の強制帰還である。現在も、そのロヒンギャ難民に同じような問題が突き付けられている。政府とUNHCRはいい加減、帰還が当然であるという妄想を放棄し、もっと難民の声に耳を傾け、そして各政府の思惑によって成り立っている難民保護の体制の在り方を検証する必要がある。
[執筆者]米川正子
筑波学院大学准教授。国連ボランテイアでカンボジア、 ルワンダ、ソマリアなどで活動。UNHCR職員でルワンダ、 ケニア、ジュネーブに勤務。コンゴ民主共和国ゴマ UNHCR元所長。宇都宮大学元特任准教授、立教大 学元特任准教授。神戸女学院大学卒業、南アフリカ・ ケープタウン大学大学院で修士号取得(国際関係)。専 門は難民、紛争と平和、人道支援。日本平和学会理事。 日本国際連合学会理事。コンゴの性暴力と紛争を考え る会代表。 主著に『あやつられる難民―政府、国連、NGOのはざま で』(ちくま新書、2017年)『ルワンダ・ジェノサイド生存者 の証言―憎しみから赦しと和解へ』(訳、2015年、有斐 閣)『世界最悪の紛争「コンゴ」~平和以外に何でもある国』(創成社、2010年)。