「科学技術人材不足」は、作られた危機だった? その背景は......
実際には、STEM危機が叫ばれ、人材育成が過多になれば得をするのは企業だ。供給の方が多ければ、高いサラリーを払ったり、企業内の教育プログラムを用意したり、何十年にも渡る安定した雇用を保証しなくても市場から必要な人材を必要なときに選べばよい。
記事の結論はシンプルだ。STEM人材不足の神話に乗じて労働市場から良いとこ取りするようなまねをするべきではない。企業は安定した職と継続的なスキル向上の機会を提供し、正当な給与を払えというものだ。この結論に反対する人はおそらくいないだろう。
移民排斥論者が、外国人材はいらないと主張
だが、現在になってIEEE Spectrum誌の報道の余波を調べてみると、記事掲載から6年経っても「議論になった」といわれる理由が見えてくる。STEM人材の中に含まれる、「H-1B」という専門知識と技能を持つ人のためのビザを取得して米国で働いている外国人の問題だ。STEMクライシスの記事で参考文献として挙げられているEPIの調査には、H-1Bビザに関連する外国人労働者の実態を調査したものがある。
H-1Bはいわば高度外国人人材で必ずしも理系を意味しないが、最も多いのは理系のインド人だ。最近でも、インドのエコノミック・タイムズ紙の記事では、H-1Bビザの取得者の70パーセントがインド系だと報じられた。
STEM人材危機が神話であるという説と、外国人排斥を結びつける主張がある。STEM教育を受けた米国人で米国内の需要は満たせるのだから、外国人材はいらないという主張だ。
2019年4月、PNAS(米国科学アカデミー紀要)に、米国でコンピューターサイエンス分野の教育を受けたアメリカ人大学生は、中国、インド、ロシアの学生に比して最もスキルが高いという調査が公表された。移民排斥論者は、こうした文献を利用して「だから外国人はいらない」と主張する。トランプ政権の元で、H-1Bビザには発給数や手続き上の制限が課されているが、アトランティック誌は、発給されたH-1Bが更新されず、大学研究者としての職を追われて帰国せざるを得なかった人のケースを報じた。
では、H-1Bビザによる移民を制限すれば、米国内のSTEMワーカーに仕事が戻るのか。2018年4月に公表されたデータでは、インドのテック系企業トップ7社のビザ発給数は2016年度から2017年度で9.5パーセント減となった。インド大手のITアウトソーシング企業Infosysでは49パーセントの大幅減となったという。だがインドIT企業による業界団体NASSCOMは、「IT系の開発業務を米国外に移すオフショア開発への移行か、イノベーションを遅らせるかの検討を迫られている」とコメントしている。米国内にIT人材を呼べないならば海外に開発拠点を移そうという発想が出てきているのだ。これは、IEEE Spectrumが主張していた米国内のSTEM雇用の問題解消にすぐにはつながらないのではないだろうか。
日本では理系分野の人材に需給ギャップはあるのか?
ここまでアメリカの事情を見てきたが、人手不足が叫ばれる日本では理系分野の人材に需給ギャップはあるのだろうか。少なくともIT分野に関しては、経済産業省が「IT人材の不足は、現状約17万人から2030年には約79万人に拡大すると予測され、今後ますます深刻化。」と発表している。だがその中身では「デジタル技術に対応した IT 人材(先端 IT 人材)は需要が供給を上回る一方で、従来型の需要に対応した IT 人材(従来型 IT 人材)は、供給が需要を上回る状況を生み出す可能性もある。」(『- IT 人材需給に関する調査 -調査報告書』みずほ情報総研株式会社より)といい、IT技術を持つ人材は「先端人材」と「従来型人材」に分けられ、先端人材では人手不足でも従来型は人あまり、ということも起きるというのだ。
先端人材とは、「AI、IoT、ビッグデータ等の先端 IT 技術の利活用に向けた需要」に対応でき、「第4次産業革命に対応した新しいビジネスの担い手」だという。「従来型 IT 人材から先端 IT 人材へのスキル転換が促進されれば、先端 IT 人材の需給ギャップが緩和される」との記述があることから、スキル転換の促進、支援が考慮されているとはいえる。ただ、スキル転換に必要なのはつまるところIEEE Spectrumの結論にある雇用者による「継続的なスキル向上の機会を提供」になるのではないだろうか。
『The STEM Crisis Is a Myth』の記事が掲載されてから6年経っても、また日米で理系人材を巡る状況が異なるとしても、今でも読む価値のある記事ではないかと思われる。