トランプの「裏切り」で事態急変 中東諸国におけるクルド人の歴史
◎トルコ
クルド人はトルコの人口の約20%を占める。
1984年、クルド労働者党(PKK)がトルコに反旗を翻して蜂起し、南西部での自治を求めた。以降の武装闘争では4万人以上の死者が出た。
99年にPKKのオジャラン党首が拘束され、裁判で死刑を宣告された。トルコはその後死刑を廃止したため、終身刑に減刑された。
エルドアン大統領はクルド語の使用制限を撤廃。政府は2012年、服役中のオジャラン氏と協議したが決裂し、紛争が復活した。
米国、欧州連合(EU)、トルコはPKKをテロ組織に認定している。
トルコ軍は、PKKの牙城に近いイラクのクルド人地域を頻繁に攻撃してきた。
トルコ政府はYPGをPKKの支部と見なしており、エルドアン大統領はYPGを壊滅すると表明。シリア北東部に軍を侵攻させた。
◎イラク
クルド人はイラクの人口の15─20%を占める。主な居住地は北部の3州。
1980年代、フセイン政権は化学兵器でクルド人を攻撃し、多くの村はせん滅され、クルド人数千人がキャンプへの収容を余儀なくされた。
91年以降、クルド人地域は半ば自治状態で、独自の政府と軍を持つが、予算はイラク中央政府に頼っている。
イスラム国がイラク北部の大半を制圧した2014年、クルド人部隊は中央政府の勢力失墜に乗じて油田都市キルクークなどを掌握した。
イラク政府軍とクルド治安部隊は、米国の後ろ盾を得てイスラム国を撃退し、イラク北部を掌握した。
クルド自治政府は2017年9月、独立の是非を問う住民投票を実施したが、これが中央政府と地域諸勢力の反発を買い、この地域は危機に陥った。
イラク軍は、クルド人勢力が14年以降掌握した地域を奪還。その後、両者の関係は改善したが、石油輸出と収入の分配を巡り緊張関係が続いている。
◎イラン
イランの人口に占めるクルド人の割合は約10%。
イラン政府は2011年、PKKの分派でクルド人の自治拡大を求めるクルディスタン自由生命党への軍事行動強化を約束した。
人権団体は、聖職者の支配層によってクルド人その他の宗教・人種少数派が差別を受けていると指摘している。
イランの革命防衛隊は数十年にわたりクルド人社会の紛争を鎮圧し、司法は多くの活動家に死刑や長期刑を宣告してきた。