日本が強くなったのはラグビーがグローバル化したからだ
JAPAN’S GREAT LEAP FORWARD
日本代表ヘッドコーチのジョセフ(中央)は選手としてもかつて日本でプレーした(10月13日) AFLO
<屈辱の大敗から24年後の劇的な勝利、そしてW杯での8強入りは、グローバル化という「必要条件」なしに実現しなかった――。ラグビーの未来と課題に焦点を当てた本誌「躍進のラグビー特集」より>
今なお日本ラグビー最大の悪夢は1995年6月4日、南アフリカ・ブルームフォンテーンで行われた第3回ワールドカップのニュージーランド戦、17対145の敗戦であることに議論の余地はない。
だが、屈辱の大敗はこれにとどまらない。ブルームフォンテーンの惨劇から9年後の2004年11月、日本代表はスコットランド中部パースで同国代表と戦い、8対100で敗れている。ニュージーランド戦は21トライを奪われる無残な試合だったが、このスコットランド戦も相手に15トライを献上するひどい内容だった。
128点差から24年後、92点差から15年後の10月13日、ワールドカップ日本大会で日本代表はスコットランドに28対21で堂々と競り勝ち、4戦全勝のグループリーグ1位で決勝トーナメントに進んだ。「ティア1(強豪国)」と接戦することがせめてもの願いだった往時のファンたちに、タイムマシンに乗ってこのニュースを知らせに行ったら、どんな顔をするだろう。
彼らはきっと、口をあんぐりと開ける。そして、こう聞くに違いない。「どうやって日本代表はそんなに強くなったんだい?」と。
負け癖が染み付いた日本の選手たちを猛練習で徹底的に鍛え上げ、世界が気付かないうちに日本代表の力を世界レベルに引き上げ、2015年イングランド大会初戦で横綱相撲を取ろうとした南アフリカをうっちゃったエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチの功績は言うまでもない。この大会で日本は、3勝を挙げながら決勝トーナメントに進めない初めてのチームになった。勝つことに必死で、「ボーナスポイント」にまで頭が回らなかったからだ。
現ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフと、その名参謀トニー・ブラウンの力量もまた疑う必要はない。ジョセフもブラウンもニュージーランド国民の英雄と言っていいレベルの「オールブラック」だったが、何より世界最高峰の国際プロリーグ「スーパーラグビー」の弱小チームだったハイランダーズを指導者として優勝に導いた実績がある。
代表選手たちの献身と努力は語るまでもないだろう。ジョセフは最近、「日本代表選手の日当は1万円」とぼやいたが(ちなみにイングランド代表の手当は1試合2万5000ポンド)、プロップの稲垣啓太は今大会中の記者会見でこんな健気な言葉を残している。
「生きていく上でお金は必要だと思うけど、僕らはお金が欲しくてお金のために日本代表として動いているわけじゃない、僕らなりの信念があって活動している。お金は僕らがコントロールできる部分ではないので、特に気にしていない」