「貧困の壁を越えたイノベーション」湯浅誠がこども食堂にかかわる理由
一つ目は「貧しい子ってそんなにいるの」という「壁」。自分の周りにそういう境遇の子どもはいないと思う。「見えない」から当然です。だから日本の子どもの7人に1人が貧困状態、と説明されてもさっぱり実感がわかない。
そういう人たちが考える「貧しい子ども」のイメージって、「道端に寝ている子ども」です。そのくらいディープな光景を思い浮かべるから「自分にできることなど何もない」と考える。
そんな深刻な家庭に入っていって、複雑な家族関係を調整するなんて「難しすぎてとてもじゃないけど私は無理」という二つ目の「壁」がここでできる。なので、福祉の専門職や自治体職員など「やるのが仕事になっている人」以外になかなか広がっていかない。
貧困は、日常のかかわりあいの中でふとした拍子に「発見」されることが多いです。
たとえば、子ども会の活動でワイワイ集まっていたら、出されたコロッケを見たことも食べたこともないという子がいると気づく。
コロッケを見たことも食べたこともない子は、ボロボロの服を着ているわけでもないし、道端で寝ているわけでもない。だから表面上はさっぱり分からない。でもそういう時に気づくんですね。ああ、周りにいないと思っていたけど、いたんだなって。「じゃあ、この子に次はメンチカツでも食わせてみるか」と始めるんです。
「次はメンチカツでも」と思った人が、もしその子と何もかかわってない時に「あなたの住む地域にコロッケを見たことも食べたこともない子がいるんですが、何かできることはありますか?」と聞かれたら、たぶんこう答えるでしょう。
「難しすぎてそんなことにかかわれない。そういうのは役所の人がしっかりかかわってほしい」
だけどかかわった後に気づけば、抜き差しならなくなってかかわり続けるんです。そうやってすそ野を爆発的に広げていったんですよ、こども食堂は。
この国の空気が、ちょうど「揺り戻し」の時期に入っていたことも大きかったと思います。高度成長期以来「しがらみは面倒だ」とつながりを捨てて便利さを追い求めてきた。ネットショップでボタンをポチッとクリックすれば欲しいものが買えて、一人暮らしでも困らない。どんなにユートピアだろうと思い描いていた暮らしが実現してみると、そんなユートピアでもないと分かってしまった。
そこに東日本大震災をはじめとした各地の災害がボディーブローのように響き、「1人の気楽さ」より「1人の寂しさ」、「2人の面倒くささ」より「2人の楽しさ」に、ちょっと重心が移ってきた。