ゴミが溢れかえるエベレスト、ついに中国側ベースキャンプへの一般客の立入規制始まる
高山ではモラルも低下する?
当局はこれまで、一定の対策はしてきた。ネパール政府は各チームにつき4000ドルのデポジット(預託金)を取り、一人あたり約8キロのごみを持ち帰れば返金するシステムを取っている。中国も、ごみを持ち帰らなかった場合の罰金制度を設けている。また、定期的にゴミ拾いのクリーン作戦を行っており、ネパール側では今年は8,000メートルより上の「デス・ゾーン」にある遺体回収も試みるという。
しかし、登山者の多くは、ごみを放置して預託金や罰金を支払うことを選択するという。筆者は、途中で挫折した元ヘタレ山岳部員だが、8キロの荷物の有無は、特に空気の薄いヒマラヤでは死活問題だということはよく分かる。それに、空気が薄く、疲労がたまっていると思考力が鈍り、行動が雑になるものだ。私はエベレストに行ったことはないが、中国・四川省の峨嵋山(がびさん=標高3,099m)に行った際に、その感覚を経験した。
峨眉山は富士山よりも低いとはいえ、3,000m級の高山だ。にも関わらず、山頂までバスで一気に登ることができるので、登山に不慣れな一般観光客も多い。大昔の学生の頃の話だが、私もバスで山頂まで行き、徒歩で下る"峨眉下山"をしたことがある。ヒマラヤ登山では徐々に高度を上げて体を慣らしていく極地法が取られることが多い(これがごみを増やす要因にもなっているとも言われる)ように、車やヘリで一気に山頂へ行けば、体調への影響をより受けやすくなる。
私が峨眉山に行った際には、同行の友人が山頂についた途端に急激な眠気に襲われ、極寒の雪原に大の字になって眠り込んでしまった。私も軽い頭痛に悩まされ、いくらかろれつも回らなくなったように思う。ボーッとした頭で薄笑いを浮かべて倒れている友人を乱暴に叩き起こして下山の道を急いだが、そのような状態で、ごみを持ち帰る余裕など持てるはずもなかろう。
観光客が来ない山の清涼な風景
他の要因もあるだろうが、実際、峨嵋山の登山道の周りはごみだらけであった。それも、山頂に近いほどひどく、上の方は文字通り地面が見えないくらいビニール袋やプラスチックごみが堆積していた。世界遺産登録された今はだいぶましになったようだが、観光シーズンには係員が崖をロープで伝ってゴミ拾いをする様子が、中国メディアでしばしば報道されている。
一方、2001年には、内戦と米軍のタリバン掃討作戦が若干落ち着いた時期にアフガニスタンのバーミヤンの山岳地帯に行ったが、当地では、ごみが山積みになっているような光景はなかったと記憶している。長く戦争が続く場所に観光客が大勢来るはずもないが、現地の人たちの生活は脈々と続いていた。タリバンによって破壊された石仏があった山にも、岩肌に穴を掘った穴居に現地の人たちが暮らしていた。彼らは日常の中でスイスイと山岳地帯の稜線を歩く。バーミヤンの山は現地の人の生活の場として、風光明媚な環境を保っていた。
バーミヤンのような隔絶された土地では、地産地消のサイクルが成立していないと人の生活は成り立たない。人間の数が圧倒的に少ないことも当然関係あるが、深刻なごみ問題とは無縁な暮らしがそこにあった。ヒマラヤのシェルパ族の暮らしも、世界中から人々が押し寄せるようになった近年より以前は、似たようなものだったのだろう。AFPの取材に答えたベテランシェルパのペンパ・ドルジェさんは、今のエベレストの惨状について、「この山には、何トンものごみが捨てられている。とても不快だし、目障りだ」と吐き捨てている。
山の民の苦しみは、山に住む者だけが分かる
ごみを持ち込む側の先進国でも、山に暮らす人々の思いはドルジェさんと同じかもしれない。風光明媚な山岳地帯にあるアメリカ・ユタ州のパークシティでは、町出身のNPOのリーダーが、今年5月に予定しているネパール側ベースキャンプ周辺での清掃トレッキングのメンバーを、パークシティ住民限定で募集している。
2005年にネパールに移住し、内戦の避難民などに手を差し伸べるボランティア活動を経て、現在はエベレスト周辺の植樹活動などもしているルーク・ハンレーさんは、地元の自然とアウトドア・スポーツ、ボランティア活動を愛するパークシティの住民こそが、清掃登山ボランティアに適任だと地元紙に語っている。山の民の悲しみは、山間地に住む者だけが分かち合えるという発想だ。こうしたボランティア活動の参加者を、町を限定して募集するのは比較的珍しいのではないだろうか。
山の民の心意気は世界共通だというハンレーさんの思いが当たっているとすれば、火山列島に住む我々日本人ができることも、決して少なくないのではないだろうか。